岐阜のホームレス殺害事件や福岡・少女監禁事件について述べた際に指摘したように、「我慢」の賞味期限が4月半ばで切れている。
「我慢」のない世界を背景に、これからいくつかの問題行動が続いて引き起こされてくることが考えられる。

私は、こうしたことのさらなる背後に、「不自由からの逃走」(かって精神分析学者E.フロムは1930~1940年代にドイツで生活を営んだ人々を「自由からの逃走者」と呼んだ)があると捉える。「我慢のない世界」で様々な問題行動を起こす人々を「不自由からの逃走者」と考えると、そうした問題行動を起こした(起こす)人間の多くは、自身が行ったことを「悪い」とは思わない(思ってない)のではないか。むしろ自身を「被害者視」するのではないか。あるいはウイルス禍がもたらした「不自由」からの逃走と考え、それにより自分の行動を「中和化=正当化」するのではないか。
だから単なる緊張やフラストレーション、不満の解消行動としてだけ捉えられない、場合によっては「時代への復讐」あるいは「被害者の抵抗」と考えるかもしれない。ともかくさまざまな大小微妙な、ねじれた奇妙な問題行動(アグレッシブあるいはネガティヴな行動)が、これから絶えることなく噴き出しくるに違いない。
社会と人間心理そして行動のあり方を探る、非常に重用で貴重な時点(申し訳ない表現をすれば「時代の中の社会実験」の瞬間)に私たちはさしかかっているのではないか?

幾つかの出来事を「不自由からの逃走」の視点で探って見たい。
(文責  清永奈穂     20202・05・06)