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清永賢二の独り言

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        清永賢二の独り言

相模原19人殺害事件に投げる私の視線

この事件をどう理解したらよいのだろう。犯人の精神的偏位性の問題(池田小学校事件犯人との精神病理世界の類似性など)で片付けるのが一番の策となろう。

しかし背中に彫られた大きな入れ墨、大麻の使用歴、生育の過程で関わりを持った近隣・学校関係者・友人たちの「明るく社交的だった、普通」という評価、文学部教育学科卒、立派な住居、両親の転居、福祉施設勤務、国会議長への訴え、警察の対応、襲撃された施設の対応(特に防犯システム)、加害者の障害者への態度=精神変容、そして護送車に乗り込む際の「してやったり」のスマイル。

彼の行為を解く糸口は様々にある。今後この種事件の発生を防ぐためにも彼の行為は解かねばならない。しかしこれだけの糸口をたぐり原因を突き止めることは極めて困難であり不可能となろう。そこで犯人の精神問題(サイコパス問題など)へと答えは落ち着いてゆく。

これだけの犯行を犯した犯人には当然極刑(死刑)が求められる。しかし極刑を求めるには精神的病いとしてしまっては求められない。そこで池田事件の宅間、M事件の宮崎のような処理過程がなされるでろう。

ただ心の病いとして括ってしまえば、それで終わりになる。この事件の深層は時代を反映したものであることを強調せねばならない。こうべサカキバラ事件の犯人も「少年の心の底に潜む空洞化現象」を反映したものであった(事件検事調書参照)。

ここで学べることは最大限学ばねばならない。現時点で以下のような学びが出来る。

(1)防犯カメラは、威嚇効果、犯行後の映像証拠と追跡力=犯人検挙には十分な力=能力を発揮できる。しかし今回事件のように捕まることを恐れぬ、例えば自殺的犯行あるいは狂信的独善性に基づく犯行(テロ犯)には抑止力を持たないと云うことである。

    現在世界的な重大問題となっている「国際テロ」などの事前防止には、容疑者あるいは事件情報に関するよほどの事前条件が備わっていない限り力をもたない。そういう意味で、今回の事件は我が国において、防犯カメラ重視の方策では、もし、ニースのような事件が起こった際には十分な力を備えていないことを示した、ともいえる。

(2)彼が事件前後に云っていた言い分け「世の中で生きていてもしょうが無い存在を私は除いた」という言葉の吟味が今後十分いなされる必要がある。これは自己の行為を正当化する「中和の理論=社会的正義達成の独善的自己正当化の論理」であり、こうした極端な中和作用が「普通と見える男」によってあみ出されたことを考えると、彼の背後に無数の彼もどきの予備集団がおり、今後もこの種犯罪はなくならないし、増加する(殺人行為ではなく排斥行為などとして)可能性が高いと診断するべきであろう。障害者だけでなく私たち自身へのあからさまな不寛容・存在拒否が進行する。そういう意味で彼はヘイトスピーチの一員で遭ったのではないかという疑いを持つ。

(3)この行為は、日本だけでなく世界で生じているという視点から分析を進める必要がある。例えばメキシコや中南米、アジアでフイリピンで発生が確認されている法に則らない独善的独我的極刑(正義の名の下での暗殺=死刑)の執行と共通する臭いがある。アメリカのトランプの主張にもこの臭いがある。

 そういう意味で世界中の危うさを日本・相模原事件は同一線上で体現しているのかも知れない。この臭いが世間一般の臭い=心地よい匂いとなったとき、を心しておく必要があるだろう。

(文責 清永賢二 2016728日)

相模原19人殺害事件に投げる私の視線(2)

事件の犯人の心底を理解したい。事件前に彼は変わっという報道が成されている。そうではない。もっと早い時期から彼の変容は始まっていたと見なければなるまい。人間の重大な行為の実行は、「やった、その時とさほど時間を置かないその前の変化に見て取れる」というほど根の浅い柔な考えに基づいてなされるものではない。社会の表、彼の態度や言葉に現れたのはそうかも知れないが、その心性はずっと前から心の奥底で練られ熟成し確信に至ったものであるに違いない。だから彼はこれまで思い続けたことを「してやったり」「俺の正義を実現した」の充実した笑顔を護送車の中で浮かべたのだ。

その彼を理解するポイントとして2つ上げることが出来る。

一つのポイントは「入れ墨」である。入れ墨で思い出すのはヤクザ(極道)である。過去極道の世界で入れ墨を入れる(刺す)のは、彼らが「戻れない世界に入る儀式=根性を入れること」であることが多かった。

 この事を踏まえ3つのことを知りたい。

入れ墨は日本式の本彫りか、西洋人が良くやっている機械彫りの手軽なやつか?

 本彫りであるなら仕上げるまでに、相当な苦痛(我慢。入れ墨を「ガマン」とも云う)を伴うし、金銭的に高額、時間もかかるものである。そこまでして入れたのか。そうであるならば、彼は入れ墨を入れることで、全く別な世界(ヤクザ的な臭いのする世界、例えば男性性を強調する右翼の世界)に入る身体儀式として入れ墨を入れたのではないかという想いがつのる。

 そこで以下の解きたい疑問が生じる。

 入れ墨は「筋彫り」を入れた本物か?

そうであるとすれば、いつ・どこで・誰が掘ったのか?彫り師はどこの誰か。誰の紹介で彫り師を訪ねたのか?

彼が背中に彫った入れ墨の「絵」は何が描かれているか?

彼は何故その絵を選んだか?

 取りあえず、このことを知りたい。誰かこの4点を明晰に解いてくださらないか。

次に大きな、2番目のポイントとして以下の点が上げられる。彼の学生時代である。

 おそらく彼の大人として確立した社会的心の真柱(「彼の思想」「彼の思想の基軸」といって良い)は、18歳から22歳前後の間にしっかりと築かれたであろう。とすると彼の人間観を作ったであろう期間について以下のことを知りたい。

彼が所属した大学は、何という大学であるか?その大学の何というゼミに所属していたか?また何というクラブに彼は所属し、活躍していたか?彼に影響を与えた友人、書物はどういうモノであったか?大学時代の友人はなんといっているか?

 大学やその周りの人々にはきついことだが、彼の人眼観を作ったのは、この期間にあるだろう。

 こうした1.2.の問題が解かれなければ、たとえ心理学者や精神科医がよくやるように、彼の生育歴から追いかけても、彼の行為を支え築いた思想の根源(独りよがりの正義感の醸成)にはたどり着かないであろう。彼ら心理学者や精神科医が提出する報告書は、今でのその種の多くの文献に見た「~症、~症候群、~人格など」のありきたりの答えに満ち、私たちの知りたい「これだけの事件を起こした青年=悪魔の誕生」の実像に迫るモノではなかろう。

相模原19人殺害事件に投げる私の視線(3)

ある新聞社の記者の方の努力(記事)で(2)私の知りたいこととして掲げていたことの大部分を分かることが出来た。知りたいこととは、およそ次のような8点であった。

(1)入れ墨は「筋彫り」を入れた本物か?

(2)そうであるとすれば、いつ・どこで・誰が掘ったのか?彫り師はどこの誰か。誰の紹介で彫り師を訪ねたのか?

(3)彼が背中に彫った入れ墨の「絵」は何が描かれているか?

彼は何故その絵を選んだか?

(4)彼が所属した大学は、何という大学であるか?

(5)その大学の何というゼミに所属していたか?

(6)また何というクラブに彼は所属し、活躍していたか?

(7)彼に影響を与えた友人、書物はどういうモノであったか?

(8)大学時代の友人はなんといっているか?

 この8点の他に(9)彼の両親の職業、も分かった。

 これら9点から多くの答え(私の犯人像=イメージ)が湧き上がってくる。まず注目したのは、(4)の大学名、その大学の文学部教育学科(この学部名と学科名は他の新聞社の記事により知る)であた。 

この大学学部には私が以前所属した組織の直属上司、あるいは組織は別だが同じ学問分野に取り組んでいた方々が少なくとも教員として10名前後勤務(構成教員数として非常に多いといって良い)していた。それがどうだというのではない。しかし、彼が大学でどのような講義を受講し、どの様な社会的精神(思想)形成を成したであろうかという具体的想像は広がる。こうしたことと同時にこの大学時代に(1)(2)の入れ墨彫りがなされたという記事と合わせ、彼の大学時代の生活と今回凶行との関わりについてイメージはさらに広がる。 (文責 清永賢二 201683日)

 

相模原19人殺害事件に投げる私の視線(4)

多くの情報が発信され、少しずつ犯人の真の像を描くことに迫りつつある。しかし彼の像を抉り描写するのに、今の情報では「何かが足りない」という思いが強い。

このままでは、①大学時代に彼の変身の芽があった、②その契機に「クラブ」への出入りや「刺青文化」を誇りとする「半グレ」的な反社会的でマッチョな集団との新たな交友関係があった(のではないか)、③大麻や危険ドラッグ等の影響が強かった(のではないか)、④金銭的逼迫からの障害者待遇への強い反発(があったのではないか)、⑤この年齢と時期に心の病が発症(したのではないか)、等で整理されよう。

しかし①~⑤のどれも「であったのではないか」であり、決定的な「何か」ではない。

少なくとも障害者施設に努めながら「障害者は世の中のためにならない、死ねないことは彼らにとっても不幸なことだ。それでは殺してやろう」という(通常の世間知=常識から離れた、それも大学では教育学科=教師になるコースを選び、そのための勉強をしながら)重い判断を生み出させる=論理的に紡ぎ出させた(通常であるなら、かなりの知識の蓄積と知的想像力とを要する)「何か」を求めようとする者=稿者にとっては満足できるものではない。

 ともかく「何か」の情報が足りない。彼の陥った狂気の生だとしても、彼に影響を与えたあるいは彼の思想を主導した「何か」の作用が、狂気(誰でも殺人w実行する時には狂うものだ)に陥る前に、陥らせる入り口に導いたモノがあったはずだ。それを知りたい。(文責 清永賢二 201684日)

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