昨日、この事故/事件の現場に主任研究員の木下と二人で赴いた。

現場を観察した思いを、この時までに得られた情報を基に、ラフにデザインすると以下の様であった。

<現場概要>

小1の少女が最初に母親と待ち合わせるまで遊んでいたという公園にキックボードが放置されていた(自宅から1.2キロの公園)、そして靴と靴下が残されていた河川敷まで歩き、事件現場となった川岸を目視した。

河川敷はグラウンドになっており、その先の雑草の繁った岸辺に靴と靴下があったという。人気の無いがらーんとした光景。

河川敷には、降りないで下さいと警察に言われた。しかたなく河川敷と岸辺は目視となった。そもそも河川敷は台風で水浸しで、警察が腰まで水につかっていた。

少女が行ったであろう23日昼ごろは、まだ河川敷に水はなかった。少女は、河川敷を越え川岸にまで至り、そこで川に入ったのではないかと推測されている。

ということは、この河川敷を歩いて行き、そしてそこを越えて自発的に靴や靴下を脱いで川に入った、あるいは誰かに誘われ(強制され)河川敷を越え、靴と靴下を脱がされ川に入った、もしくは誰かが靴と靴下だけを置いていったという三つの光景がイメージされる。

<事故/事件を読む>

まだ十分に少女のプロフィールと現場環境を把握していない。多分に独断的になるが、次のような考えが浮かぶ。

まず注目するのは、少女が公園でキックボードで遊んでいた、という既に報道されていることだ。

ということはこの公園と河川敷の間で、ひとりでか、あるいは何らかの「介在する者」が存在し、川縁まで歩いて行き靴や靴下を脱いで川に入った(させられた)とイメージされる。

ここで考えねばならない事は、小1の子どもが「大切な自分の遊び道具」であるキックボードを「公園に置いて、河川敷を越え、川岸まで歩いて行く」のか?ということである。たかがキックボード、しかし子どもにとってはされど宝物である。

公園から「どて(堤防)」を越え河川敷を横切り靴や靴下が置かれていた岸辺まで300㍍。公園からは随分と歩かねばならない。途中の「どて」は高く、裾が幅広く広がっている。

普通小1にもなる子どもが自分が大切に使っている「遊び道具」を「誰でも近寄れる公共空間(公園)」に置きっぱなしにし、上記のような距離を歩き、「どて(堤防)」という障害を越え、さらに50㍍超(目視)はあろうかという河川敷を横断し、川岸にまで独りで歩いて行き、川の中に入水するということは常識的にはあり得ないこととイメージされる。

子ども、特に小学低学年生の遊び行動を数多く観察してきた目から見ると、自分の大切な遊び道具(宝物)を放置する(置きっぱなしにする)などほとんど目にすることのない景色である。

小脇に抱えてでも持って行くものだ。

特に最近の子どもは、まず自分が大切にしているモノを盗られないことに注意を払う。それも自宅から1.2キロも離れた公園でのこと、かつ自分が今乗って遊んでいたキックボードである。

もしキックボード(遊具)を手放して河川敷まで歩き、川岸(公園から300㍍以上ある)で靴及び靴下を脱ぎ、川の中に入ったとするなら、考えられることは、そうする強い必要と願望があった(川の中に入り水と戯れたい、あるいは川に入り死を望むなど)、あるいは(言葉巧みに)誰かがそこまで連れていった(そうするよう強制された)という二つのことだ

自発的に宝物のキックボードを置いて河川敷を越え川岸まで歩き、靴と靴下を脱いで(新聞報道)川の中に入る(たとえ「川の中で遊びたい」という思いでの入水であり足を滑らせての溺死であっても)、周りに人が居ない川の中に一人で入ってゆくと言うことは、見方に寄れば自殺的行為)。それほどの必要性とそうしたいという願望が、その時の少女に果たしてあったのか。そうした行為を望むほど小1の少女に何らかの強い思いがあったのか。

事件後の母親のインタビューからは、そういう必要性や願望があったことは、とうていうかがえない。

そこでもう一つの考えが浮かぶ。

例えば少女は、自発的に川岸に行ったのでなく、誰かに誘われ、あるいは強制的に連れられ、場合によっては公園から運ばれ、川岸に行き、靴や靴下を脱がされ、岸辺に靴や靴下が置かれ、あたかも自ら望んで川に入ったように見せかけられた可能性も十分に考えられる(偽装工作)。こう考えると、ひょっとすると少女の身体はこの川の中、少なくとも靴/靴下の置かれた川周辺にはない可能性さえもありうる。

少女を連れ回したかもしれない(運んだかも知れない)「誰か」を大胆に想像すると、少女にそれほどのことをさせることができるほどの「親密あるいは普段から顔見知り」の「近づきやすい」人間でないか、あるいは車で少女に接近し、強制的に車内に連れ込み運んだ者、従って周辺の道路網の情報に長け、車の免許を取ることができるほどの知恵と偽装工作を操れるほどの狡知性を備えた「(普段からこの周辺を車で走り回っている)近づきやすい、あるいは逃げる能力」に長けた、そのことに自信のある者ではないかなどのことが推察される。

もしそうであるならば、川岸に放置された靴や靴下は、捜査陣の目くらましのための完全な「偽装工作」であり、少女の身体は別な方角にある、ということも考えられる。

靴と靴下の置かれていた川岸にのみ拘ることは時間稼ぎの偽装工作に乗ってしまうことになりかねない。勿論自発的に入水した(遊びのためなど)可能性は僅かに残るが。

先ずは、少女を最期に目撃した目撃者を探す、あるいは公園を中心にした防犯カメラの映像を丁寧に検証する必要があるのではないかと思われる。ことになりかねないかく少女を早く見つけ出し、無事を確認することだ。

様々なことが考えられ、考えさせる事故/事件である。無事でいて欲しいと心から祈る。少女は今だ発見されていない。最近は、子どもを巡る事故/事件が頻発している。起こしてはならない事故/事件は起こさせないよう、私たち大人は最大の注意と努力を払わねばならない。

結論を明確に述べるまでには、まだ至らない。情報が少ない。今後さらに注視してゆきたい。

以下、記述時までに得られた情報を基にした志向、推察であるので、当然、考えは変化し浅い。お許し願いたい。

( 文責 清永奈穂  木下史江    2022/09/27)