すでに様々な所で否定され消えていたと思っていた説が再び掘り返されてきました。歴史は逆行させてはならない。回復することのない不幸な経験を持つのは子どもだけだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyanobuo/20210414-00232516/
この説に関しては2019年の日本安全教育学会で、「安全マップ批判」という形を借り、清永賢二がなぜ誤りなのかを下記の発表で説明しております。この説明に対し、その場で多くの研究者から賛同を得ました。
小宮先生、前にも2回ほど提案しましたが、もしよろしければ公開討論会を開きましょうよ。「子どもの安全学」の発展のためには、科学的合理性に満ちた言説が積み重ねられ、多面的な検討がなされねばなりません。子どもの安全教育が正規授業化したいま、学者として逃げてはならない対応だと思います。
以下2019年日本安全教育学会発表原稿。
「地域安全マップ作り」の問題と限界について考える
      〇清永賢二 (株)ステップ総合研究所特別顧問
はじめに
 2001年の大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件を契機に、わが国の子どもの犯罪被害防止対策は、その様相を大きく変えた。文部科学省(以下「文科省」)を中心とする「教育」としての取り組みがなされるようになった。
 池田小学校事件以後、中央教育審議会の2回にわたる答申を経て2018年幼稚園、2020年小学校、2022年中学校において安全教育は、正規授業として授業時間枠を設け進められることとなった。実際どの様に授業時間枠を設定するか等の課題はあるが、いずれにしろ読み書き算と並んで地震や交通安全などと一緒に、正規授業時間を割り当てられる教育として犯罪からの安全教育を行うことが決まり、その内容や指導法等の検討が進んでいる。
 今日まで学校教育現場で為されて来た安全教育の内容を見ると「地域安全マップ作り(以下「安全マップ作り」)を中心に進められて来た。現在(2016年段階)全国でマップ作りを行っている学校は、文科省調査によれば4割前後と一時に比較し減少傾向にあるが(それまでは多い時は9割以上)、それでも4割である。これには、しっかりやっている所とそうでない所の地域差のあることが多分に予想される。
 それでも2020年以降始まる犯罪からの安全教育の正規授業化に際し、このマップ作りを中心に進められる可能性が高い。
 我々は、このマップ作りを果たして現状のままに進めてよいのか、安全教育に及ぼす影響の大きさ故に、本格的に小学校で犯罪からの安全教育の正規授業化が始まる前に、一度、冷静客観的かつ根本的に理論的妥当性や効果の検討を行う必要がある。
 マップ作り教育が始まった2004年以降そして今日も、子どもを被害者とする厳しい犯罪あるいは声掛けや不審者の接近が発生し続けている。
2.本報告の目的
 立正大学小宮信夫教授が主導している安全マップ作り教育に関し、子どもの安全確保の観点から、その理論的限界および実践的効果と問題点について検討する。
3. 小宮マップ作りの幾つかの問題
1)理論的問題
①「入りやすくて見えにくい」論の問題
 この考えは侵入犯罪に適合するもので路上犯罪には適合できない。犯罪者自身が言っている。
 子どもの多くの事件は路上犯罪である。確かに空き家・駐車場(名前だけでなく、その空間に責任ある目を持つものが常駐している駐車所)、公衆トイレ等で子どもを被害者とする侵入犯罪は発生しているが、子どもが被害を受けた事件(財産犯を除く面識関係のない者による事件)の3割弱でしかこの理論で説明できない。
 (数多くの事件と犯罪者からの情報を基にした)犯罪行動生態学的に言うなら、犯罪者の行動は基本的に「やりやすいかいなか」で決まり、その「やりやすい」は、①(被害者に)近づきやすい、②(犯行現場から)逃げやすい、③(犯罪者にとり)イメージが良い、という3条件のいずれかに合えば子どもを含む誰にでも襲いかかる。
②「入りやすくて見えにくい」の視点の問題
 誰の立場に立っての「入りやすくて見えにくい」かが明確でない。時により犯罪者、時により被害者の立場からの説明がなされ、説明性に一貫性がない。犯罪は被害者が見えにくくても、犯罪者が見えれば発生する。逆に犯罪者は、自分が「(見ようとして)見えにくい」ところでは犯行を実行しない。そのため例えば犯罪の実行には明かりを必要とする。真っ暗では犯罪者は犯罪を実行できない。
③「and/or」の論理が判然としない
  「入りやすい」くて「見えにくい(正確には犯罪者の立場から云うと「見られにくい」)という2つの主題による論理構成となっているが、この2つの主題を結ぶ「て」がand(二つ合わせる)なのかor(二つの内の一つ)なのか、それとも英文でいうand/or(そしてもしくは)の関係を示すものかが判然としない。
この問題が②の立場が明確でない問題と合わさって、結局この理論は、どういう発生状況を説明しようというのか、説明が不鮮明化し混乱状況(カオス)となってしまう。一貫した合理的説明が今のままでできるというならして見せてもらいたい。
④犯罪機会論から小宮の「安全マップ理論」は誕生しない
 小宮氏のマップ理論は「犯罪機会論」を踏まえて構築されたという。しかしこの機会論を提唱したCohen,L.EとFelson,Mは、1979年「日常活動理論」で、状況の3つの要素(elements)の組み合わせが「機会(opportunity)=スキマ」を提供し、その結果犯罪行動が生まれるとアメリカでの会議で説いた。

 即ち、彼らは、機会のベースとなる要素として①時間や場所などの注視すべき「状況(situation、「環境=environmentでないことに注意)」、②被害者(target)、③効果的な見守り人(effective guardians)をあげた。小宮氏の機会論には、これら3つの要素がどう絡まり合って機会を産み出すかの要素論が無い。そのため、ただ「犯罪は機会」であるとのみ繰り返し述べるにとどまっている。犯罪者は「機会=死角」を狙って犯罪を働くのは「犯罪予防論」から昔から言われて来たことである。小宮氏の論は、犯罪学の世界で昔から言われた当然の説を反復反映し述べているに過ぎない。

 こうした小宮氏の機会論で一番の問題は、機会の誕生を単純化した結果、「では何がどう問題で、どの要因を、誰が、どうすれば良いか」の因果論的答え(説明)が明快に示されていないことである。だから幾ら安全マップを作成しても納得行く説明を受けることの出来ない子どもは、危機回避能力がどの位付いたかが計りようがないし、危機回避能力を培うことはできない。
2)教育的問題 
①発達段階に即していない
 学校における教育とは子どもの発達段階に即し、系統的体系的になされる意図的営みである。そうした教育の論理の視点から見ると、現在行われている安全マップ教育は、子どもが「地図作成能力」を有する小学3・4年生段階でしか適用できない。では、それ以前の1あるいは2年生に安全教育は行わないで良いのかという問題が生じる。
また先に進んで3~4年で安全マップ作りを終えた子どもは、次に何を学べば良いのか、安全マップ作りで身に見つけた能力を、それを踏まえてさらに一歩進んで何を学べばよいのかの段階が提示されていない。子どもの安全能力の形成は、そこで止まっている。
②「その時どうする」の答えが導かれない
 安全教育とは、実際の場面に役立つ実学でなくてはならない。楽しくはあっても、その場逃れの遊びではない。安全マップ作りは、何のために行うのか。小宮氏は、安全マップを作って危機予測能力を養い、それによって危機に遭遇する前に事前回避を可能にするという。
 しかし多くの重大事件に限っても、安全マップを作成していながら子どもは被害に遭遇している。安全マップ作りだけだけでは、危機遭遇の「その時どうする」に答えることはできない。
 
4.結語
 安全教育にマップ作りが果たす基礎的知識形成効果はある。しかしそのためには、現行マップ作り方式を再検討し、新規作成のマップを教育カリキュラムの中に改めて位置づけし直す必要がある。

<追記:上記の学会発発表中の清永の発言>

 私たちは「安全マップづくり」を否定するのではない。ただ小宮氏の言う「地域安全マップ作り」を否定するものである。ではどうするか。答えを近いうちに提案する。(その後、清永奈穂が「お散歩マップづくり」として2021年。岩﨑書店から発表)。

(文責 清永賢二       2021・04・16)