私どもは、何度も申してきましたが犯罪からも地震からも交通安全からも共通する『命の危機』という切羽詰まった体験を通し「大人」を作ることを目指します。

目の前に迫った危機をいかに乗り越えるか、その問題解決法を学び、そう行動する、そしてその結果をシッカリと見つめ反省するところは反省する、決してそのことから「逃げない」「ごまかさない」、こうした学びを進めるのが「安全教育」です。決して「ごまかし」「言い訳=中和」「中途半端に逃げる」技術を学ぶものではありません。

私たちは、危機克服・回避のための様々な「手段=やり方」、見方によれば「生き続けるための技術」を子どもたちに示し学ばせます。しかし最後の目標は、そうした技術ではなく、「大人」という人間を作ることが目標です。ですから犯罪も地震も交通安全も、危機の様相は異なっても共通して「子どもを安全教育する」ことができるのです。

襲われた時ランドセルを捨てて身軽になり逃げる、それも大切です。2008年にそのことは実験しました。でもそれは実験下でできた事であり、多くの場合、子どもはランドセルを捨てるよりも「ともかく走る」ことに集中します。実際犯罪被害に遭遇した(しそうになった)子どもの多くはランドセルを背負ったまま逃げています。それでも助かっています。
子どもは二つのことを同時にはできにくいのです。特に年齢の低いほど「逃げる」か「捨てるか」です。何にでもかにでもランドセルを捨てろ、などとは言いません。捨てるべきか、ともかく走り続けるべきか、その見極めを事前につけさせる、つまり自分の「力」を知ることから安全教育は始まります。

ともかくまず第1に、捨てようとすてまいと「ともかく危機を乗り越える」ためには何メートル走らねばならないか、その距離をランドセルを背負って逃げ切ればよいし、逃げ切れないなら最初からランドセルを捨てて逃げればよい、ということを体得することです。

つまりランドセルを捨てるか否かの前に、その距離を逃げ切れるか否か、自分はそのに激烈「力」を身につけているか否かを知っておく、体得=体感しておくことが大切なのです。

それでは、その距離を逃げきる「その距離」とはどのくらいか。各種の実験でまた実際の多くの事件から、この距離は「20メートル」と計られています。(CD。私共の研究所にお申し込みください。有料)

しかし小学校1年と6年では「走る力」が違います。この「違い=身体的発達段階の違い」を踏まえて、つまり個々の子どもの身体能力の違いを踏まえて「走る力=逃げ切る力」をつけさせることが大切なのです。

子どもの安全は、あくまでもその「小=個」に即し、その子どもの心身の発達に沿って行うことがカギなのです。ですから安全教育は、少数教育が基本となります。

なにやら子どもの安全にはっきりしない「モヤモヤ感」が漂っています。「いつまた子どもが襲われるのかの不安」といってよいと思います。
中途半端にごまかされない「安全教育」をしっかり学びましょう。

(文責  清永奈穂              2019・10・1)