犯罪はカメラが起こしたのではない。「人」が起こしたものである。即ち、確かな事件解決のためには「人」を読まねばならない。カメラ情報は、あくまでも極めて有力な機械的情報を提供するものであり、人間的情報ではない。今回の事件を通して人間的情報を掘り起こす刑事の「カン」と「足」の練磨度が問われている気がする。

私的には、事件発生時には直接犯罪の実行にかかわりのある人=人物像として5人の人間が考えられた。

これまでに「漏れ出た情報」から確実に3人は確実に消えた。残り2人。この2人は、先に述べたように「直接事件を実行」ことが疑われる人間である(この2人は、具体的に児湯名詞で「誰」と語られるものでなく「こうした人間」と表現される人物像)。

この2人の内のどちらかと絡み合った人間関係が背景にあったことは確かだ。解くカギの一つは、誰もが思うように被害者の上半身に繰り返しなされた刺傷だ。

この絡み合いを解きつつ、直接実行した犯人を追い詰めて行かねばならない。早く追い詰めねば〇〇の可能性もある。マスコミ的には、そこが注目されるであろうが。

茨城県警は、もう被疑者を絞り込めているはずだ。

現場に立ちたい。しかし、もう体が効かない。

(文責  清永賢二   2018・09・27)