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北九州刺殺事件を読む~犯罪者行動から見て明らかにせねばならない重点~
投稿日 : 2024年12月23日
最終更新日時 : 2024年12月23日
投稿者 : step
カテゴリー : 未分類
北九州中学生殺傷事件の読み(2024年12月18日稿)は、次の2点で当たった。即ち1.おそらく被疑者は自動車を利用している、2.おそらく被害者の後を着けて犯行地点に至った、かあるいは、彼らが来るのを犯行地点の付近で待っていた。
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の「自動車利用の可能性」は、その後の被疑者確保状況から確認できた。
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の「犯行地点の側で待ち受けていた、という行動もその後の取り調べで、そうだということが明らかになった。
ただ、そのこの「待ち受け」が、被害者の子どもを待ち受けてのものであったか否かは、まだ取り調べの進むのを待つ必要がある。ただ先の稿(2024年12月18日稿)で述べたように、「店内に並ぶお客の最後部に立った被害者目掛け、他のお客の間をすり抜け、店員の視線を気にすることなく、一直線に襲い掛かっり「その後、他の客に襲い掛かることもなく逃走」した行動から、被疑者は「被害中学生のみ」を狙ったものと確証と云えるほどの確率で推察できる。
問題は、なぜ被害者となった中学生を狙ったか、ということである。この点について警察の取り調べを待つ以外にないが、推察するにこの点に関する追及に捜査関係者も確かな自白を得るのに時間をかけていると思われる。推察すると、それほど犯行動機が曖昧で揺れ動いている、あるいは普通の犯罪者行動から外れているのではないか。普段の事件ではマスコミ等へ生じてくるであろう「捜査情報の洩れ」もない。その一方でマスコミ情報は、被疑者の「異常な日常行動」「家族生活の破綻」「近隣との生活の解離」などを中心に「彼は心に病を抱えた異常者」ではないかというレッテル張り作業が進む。
気をつけねばならない、同じような光景は2002年大阪教育大付属池田小学校事件の犯人T(後に死刑)へなされたレッテル張りと同じ臭いがする。精神鑑定の結果をいうとTは病ではなく正常人として評価され「死刑」となった。
問題は、彼が被害者を「狙ってやった」と踏み込んで読んだとして、また彼が心に殺人へと駆り立てる病を抱えていたとしても、なぜ「この時、この子どもたちに視線を向け、刃を向けたか」ということである。「心の病」と扱うにはまだ早い。「心の病」と呼ぶことによって、解き明かせねばならない時代的社会的脈絡=原因が一切消えてしまう。
彼の背景に何が潜んでいたのか。彼の「眼=視線=思い、人についての感性=人に向けての行動を促した動機=その背景にひそむ時代的要因」を読み解かねばならない。この事件理解のポイントである。
(文責 清永奈穂 清永賢二 2024年12月23日)