多くの方から「いつ出版か?」との問い合わせが寄せられています表記図書ですが、現在校正を進めていますが、何せ大部でかつ図表写真、数値が多いため、来年2月頃の出版が決まりました。

(文責 清永奈穂  2022/09/18)

<一部「はじめに」(校正前原稿抜粋)参考>

はじめに

二つの大戦という悲劇の詰まった20世紀が終わり、21世紀社会は誰の頭上にも豊かさと幸せを運んでくれると世界中が思ったものである。しかし、蓋を開けておよそ20年、5分の1世紀が経ち、今に見る世界は、政治-経済-社会-文化あらゆる面で激しい対立・抗争が絶えることなく発生し、年齢や性を問わず弱い者がより一層強く叩かれるという様相があからさまになってきている。

こうした面だけではなく、自然環境においても、これまで経験したこともないような地震、水害、台風、地球温暖化に伴う激しい気候変動などが人々や地域を絶え間なく襲う。一見無差別な自然による暴力的破壊の様に見える。しかしその暴力下で確実に抵抗力の脆弱な者から順に、死と直面するような厳しい現実がある。

誰がこのような状況が出立すると予想したであろうか。まさに今世紀は、地球規模でトータルに「危機の世紀」と表現せざるをえない状況にある。我が国もこうした世界的規模の流れから外れることはできない。

犯罪に絞ってみると、例えば第2次大戦の痛みから奇跡の復活を遂げた我が国においては、特に1950年代から1980年代前半にかけ経済先進国中で犯罪から一番安全と、世界的に高く評価されて来た(1)。しかし1980年代後半から2000年代前半にかけ、世界の動きと同様、我が国においても犯罪は爆発的に多発化傾向を辿り、質量ともに一挙に問題化した(2)

1995年には、オウム真理教を信じる者たちによる無差別テロが発生した。この事件で29人が死亡し、負傷者は6,000人を超えた。20年以上経過してもその惨劇の記憶は生々しく残る。一挙に日本の犯罪からの安全は神話となった。

大人だけではない。我が国で犯罪被害に遭遇する子どもの数も、2002年には過去最高に達した。その前年2001年には、子どもと地域の聖域空間である小学校が白刃を持った男性に白昼突如襲われ、なすすべもなく児童8名死亡教師を含む15名負傷という大事件が起こった。学校、特に小学校は「犯すべからざる聖域」という歴史的タブーは一瞬にして吹き飛んだ。この大阪教育大学附属池田小学(以下大教大附属池田小学校)事件は、子どもと学校安全についての取り組みを大きく変えた。

しかしその後、日本社会の総力を挙げた取り組みがなされた結果、2017年では1980年代の水準にまで落ち着いた。子どもや女性を被害者とする犯罪も同様な傾向にある。だがしかし本当に日本の安全は完全復帰を遂げたのか、特に子どもの安全は復活したのか。結論をいえば犯罪は量から質へ転換し、1件でこれまでの10件の犯罪に匹敵する悪質な犯罪が発生し、その一方で新しいタイプ゚の犯罪の出現に右往左往する状況が続き、到底、安全大国の復活とは思えない状況にある。子どもの事件(事案)もそうだ。

警察認知件数の年次別経年変化を詳細に見ると、回復は減るべき犯罪が減ったことによる原因が大きく(犯罪の7割以上を占める制御しやすい窃盗犯の中の自転車盗や万引きの大幅減少等)、ある特定の罪種に関しては増加(3)、警察が把握しきれなかった犯罪件数=暗数(dark figure)は横ばいあるいは罪種により増加傾向さえ示している(4)

加えて最近では、インターネットや携帯電話などを巧妙に利用した大量の「特殊詐欺事件(振り込め詐欺)」、犯罪か犯罪でないのかが判然としない「脱境界型犯罪(例えば合法性を装った新種合成ドラッグ利用問題や女子高生を中心とした売春事犯すれすれのJKビジネス)など後に法が作られ「犯罪化(criminalization)」されて初めて犯罪となる事案が止めようもなく発生している(5)

子どもを被害者とする犯罪も、パソコン上の地図情報を活用し下見の過程を見えなくしたステルス型(6)による2年間にわたる少女誘拐監禁事件や、東京近郊都市松戸市における登校途中の小学女子児童殺害事件に見るように、件数は少なくとも悪質性(seriousness)の極めて高い凶悪犯罪がさほどの時間を置かず、止めどもなく発生し続けている。また犯罪として扱うほどには至らないが人々、特に保護者に強い不安感を産み出す子どもを対象とした「連れまわし」や「声掛け」事案などが地域や時間を選ばず大量に発生し続けている(7)。さらに問題なのは、被害者認知件数は900件台とまだ少量ではあるが「13 歳以下被害者の暴力的『性犯罪』事件数」に関して、強制わいせつ事件を中心に下げ止まりから横ばいそして上昇傾向さえ見え始めたことである(8)。警察庁は、2018年度重要検討事項としてこの問題を検討する専門家委員会を新たに立ち上げた。落ち着いたとみられている子ども犯罪被害問題も水面下でこのような状況が進んでいるのである。

こうした状況に対し私たちは何をなすべきか。子どもの身体に装着させる防犯ブザーの常備化、学校教育における危険予知能力向上を目的とする「安全マップ診断」指導、学校環境の整備・充実(校門の管理強化、スクールパトロールの制度化など)、地域環境の充実(地方自治体における民間ボランティアの育成と活動推進、「110番の家」戸数の増大、街頭防犯カメラの増設、携帯電話を使った不審者発生情報の伝達など)。考えられる対応はほとんど打たれた。そのため投入されている予算額の計算例は見られないが、全国的に総額極めて膨大な額となっているであろうことは容易に想像できる。

それでも本論文執筆中の2018年5月には新潟県新潟市で下校途中の小学2年女児が誘拐され絞殺、その後死後轢断されるという「二度の殺人」ともいえる事件が発生した。また2019年5月早朝、通学バス待ちの児童の列に白刃を持った男性が突然襲い、保護者を含む18名が死傷するという惨事が発生した。再度私たちは何をなさねばならないかが問われている。

文部科学省に設けられた中央教育審議会(以下「中教審」)は、2012年、「幼稚園を含む全義務教育学校における安全教育の必須教科化案」を提案(答申)した(9)。即ち子ども一人ひとりに「教育として犯罪からの安全」を学習させ、個々の「力」の陶冶・体得により危機を克服して行くという方針である。具体的には、2020年度から始まった学習指導要領の改訂(幼稚園2018年度、小学校2020年度、中学校2021年度)に合わせ、正規な授業科目として、犯罪を含む安全教育を行うことに決定した。

ただ正規授業科目化するといっても、実際にそれを実現・実行するには多くのことが準備不足であり、極端にいえば「何も用意できていない」状況にある。そのことは、子どもを教える教師自身の自信の無さに現れている。

2017年に行った静岡県下小学校362校対象調査では、「学習指導要領で犯罪からの安全教育を行うことと明記化された時『それに十分対応できる』」と明確に回答した学校は17.2パーセントでしかなかった(添付資料6 静岡県あぶトレ調査報告書」)。

犯罪からの安全教育目標を確立し、その目標を達成するための実際に役立つ教育内容の検討、それを子どもの成長発達に沿って展開した安全教育プログラム作りを進めると同時に、有効な指導内容と指導法の開発が進められねばならない。特に学校に初めて通い、教育としての安全教育を学び始める小学校段階からの犯罪からの安全教育体制を早急に整える必要がある。

本研究を進めることの背後には、子どもの犯罪からの安全を巡るこのような状況がある。

どのような状況下にあっても人は生き、次代を紡いでゆかねばならない。その担い手は世代を支え、未来を担う子ども達である。未来社会は子ども抜きには成り立たない。子どもを喪うことは、未来を失うことに他ならない。子どもたちに危機を乗り越え、危機の時代を自らの力で生き抜き、より大きな次代を創造してゆく力を育まねばならない。それは取りも直さず子どもが大人になるということである。

危機の体験を通し子どもたちを大人にする。そのために必要な指導内容と指導法に注目した実践的プログラムを作る。本研究の最終目的は、ここに置かれる。