驚いたことがあります。

某全国放送のテレビ局のみならず、Wikipediaまでもが「現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。」と断りつつも「2021年の京王線でのテロ事件」というタイトルで表題事件を紹介しています。

この事件は自己本位な自殺願望の秋葉原事件と同様の「通り魔事件」の一種ではあっても「テロ」ではありません。

あまりに軽い「テロ」用語の扱いです。

欧米では、明確に「テロ」と「通り魔事件」は区別され表現されます。例えば「サイバーテロ」などは、私がロンドンで研究生活を送っていた2000年に、シティの金融システムへなされた組織的侵入・破壊行為を「サイバーテロ」として初めて「テロ」として扱い、同時期に同国内の教会内で発生した大量無差別襲撃事件(犯人は日本刀を使用、被害者は教会の長椅子を振り回し対応、女性や子どもは教会内を大声あげて逃げまどうという阿鼻叫喚の凶悪事件)などは狂信者の単なる「通り魔件」として扱いました。

「テロ」とはある政治的経済的宗教的等意図を持った個人あるいは組織が、社会システム(制度)の混乱・不均衡化・破壊を狙ってソフト・ハードに起こす行為であり、今回事件のように「(私は)死刑になりたい」というような甘えた性格の凶悪事件を指していうのではありません。

「テロ」への対応は、警察では「公安マタ-」として扱かい、場合によっては国家による「緊急事態宣言」の発動がなされ、最悪の場合は欧米では軍隊(日本では自衛隊)などの出動がなされ、人々の日常生活を厳しく制約します。

そうした事態が生じかねないことを意識してマスメデイアは用語「テロ」を使っているのでしょうか。わが国ではまだ制定されていない「緊急事態宣言」の制定かを促進する意図を秘めての「用語テロ」の扱いでしょうか。

あまりにも軽い用語の使用であり、無知としかいいようがありません。

因みにこの事件に先立つ2020年12月、清永奈穂は、この種犯罪が発生する危険性を「人々の間のストレス蓄積度」に関する大量な住民調査の結果から早くに予言し、ある自治体に提言していました。京王事件のみならず同じ臭いのする「心揺さぶる無慈悲と感じられる様様な形の暴力事件」が、今回は電車内でしたが、被害者は逃げにくく、それだけ加害者はやりやすい「閉じた空間」で今後も起こる可能性があります。

(文責 清永賢二       2021/11/04)