新型肺炎ウイルスが大都市圏を中心に多くの市民に「自宅に止まること(自宅待機)」を半ば強制的に余儀なくしている。この「押し止まる」ことにどこまで市民は心理的に我慢できるか。

野村証券は、「新形ウイルスの流行拡大防止のため、外出を我慢できる期間」として過去の内閣府データを基に「14.4日程度」と計算した(加重平均値)。およそ2週間の我慢。
同様に今、犯罪者も我慢している。元犯罪者(常習的万引き犯)が言った言葉を思い出す。

「悪いとは判っているけど、(自分を抑えた一定時間を置いて)「やれる」と思ったらついフッと手が出てしまう気分に襲われる、(この気分は)止めようがない、これは病気.自分だけでは無いと思いますよ」。この会話を交わしたとき、彼に明確に「どのくらいの間、時間を置いたら再度ヤル気が起きるか」についての質問はしなかった。悔やまれる。

しかし彼以外のもう一人の常習的犯罪者が残した大部の「獄中日記」(清永賢二が東洋経済新報社から出版した「大泥棒」執筆に際し使用)を見ると「1週間は我慢」しているが「2週間前後」に成ると「しかりヤル気」になって獲物を物色あるいは犯行を実行している。即ち2週間が「我慢の限界」と診断される。
先の野村証券の計算と合致する。「我慢の時間」において犯罪者も一般市民も変わらないとみられる。

ということは一般市民も犯罪者も「2週間経つと町の中に出」て接触する機会が生じる、あるいは市民は家を空ける時が生じ家屋侵入等の犯罪発生の危険がある、という事になる。

問題は、犯罪者がこの3月以降のどの時点で「自宅待機」状態、あるいはそうした心理的状況に入ったかだ。安倍首相が「緊急事態宣言」を出したのが4月7日。この時間点を一つのメルクマールとする。今日は4月16日。この間10日間。犯罪発生を犯罪者(常習的犯罪者)の立場からして「そろそろ危ない我慢帯に入ってきた」と見られる。これに対し市民の側はどうか。市民も同じく10日を過ぎようとしている。気の緩みはないか、フラフラと町中へ出かけ始めていないか。大人はともかく子どもたちは、もっと早くから休校に入った。そろそろ、というのかもう「自宅監禁の我慢の限界」に入っているのではないか。

警察官もコロナにやられている。町中から市民ボランティアの影も消えた。犯罪抑止力が落ちている。
(文責  清永奈穂         2020・04・16)