恐る恐るおよび腰ですが、それでも子どもにも保護者にも嬉しい新学期開始の動きが全国で見え始めました。でも特に今年の新学期の始まりは、家庭も学校も子どもたちの犯罪からの安全に,以前よりも厳しく気をつけましょう。これまでの新学期の始まりとは全く別物と考えてください。

先ほど日経デュアルにも書きましたが、ここで特に「通学路の安全」に焦点を絞って再度載せておきます。繰り返し書かねばならないほど、その必要性を強く感じます。
学校に通い始めた子どもたちは、図に見るように7つの危機に囲まれています。

①人々の間に蓄積されたストレス
相当のストレス(負のエネルギー)が多数の人々の間に溜まっているものと考えられます。今までは、この負のエネルギを内に(無理矢理)閉じこめていましたが、これからは外にむかってゆくものと思われます。様々な放出行為がありますが、子どもの性被害問題に向かうことは十分ありえます。実際ある地域から子どもへの性的犯罪被害行為多発の情報が入ってきています。多数の潜在的犯罪者の存在を頭に入れておく必要があります。
②人出の減少
家の中から外に出ることが半強制的に押さえられてきました(外出自粛要請)。この傾向は、もし規制が外されてとしても,かなり人々の間に自己規制の「くせ」として残るものと思われます。外出人口が少なくなると言うことは,それだけ街路から人の目がなくなり、不審行動を押さえる抑止の視線が希薄化すると言うことです。希薄化するだけでなく、意外なところにエアーポケット的に犯罪者がつけ込む「目の隙間(今まではあったが,突然消えた)」が生じる可能性があります。
③マスク着用の常態化
コロナウイルス禍発生以前でしたら「マスクを着けて歩く」というのは、不審行動の代表例でした。それがコロナ禍のもとでは当然のこととして、正当化されることになりました。マスクを着け匿名化する事が許される事になったのです。子どもに近づきやすくなったのです。どう子どもに不審者の見分け方を指導するか?提案はありますが、ここでは記述しません。まとめて後で。
④見守りボランティアの減少
一挙に通学路からボランティアが消えようとしています。学校が休みになったと言うこともあります。同時にこれまでの見守りボランティアの殆どがご高齢の方々の御努力で成されていたという事情があります。それがこのウイルス禍の下で、ご高齢の方の外出気分を削ぎ、学校が始まったとしても通学路の見守りに立つということを控えることになる(既になった)事が十分考えられます。見守りの目が通学路からなくなる(なくなった,少なくなった)のです。
⑤多忙化した教師
新学期が始まると学校・教師は、一気にそれまでの遅れを取り戻そうと余裕がなくなります。学校・教師は、どういおうと「教える」ことを優先させます。ウイルス禍以前でしたら,気を配って注意していた「子どもの安全」にまで及びにくくなるとみられます。犯罪者がつけ込む穴があくことになります。
⑥一緒に学校に通う子どもの分散・減少
授業が分散授業になりかねません。共に通学路を通う子どもの数が減ります。子ども同士の共同防御力が弱くなるのです。
➆子どもに蓄積されていた「自分で自分を守る基礎的知識・行動力(安全基礎体力)」の剥落・脆弱化
子どもは,学校に通いながら「ここは危ない」「こうしなければ」などという知識や実践力を習慣的に身につけていました。その知識や実践力が長い休みにより「忘れ」れらてしまう、あるいは人の通りが変わってしまい「通用しなく」なっててしまった可能性があります。つまり子どもは自分で自分の身を守る「ちから」を弱めてしまっていると考えられます。

以上のことから、ともかく子どもが危ない。そのため以下の最少不可欠な対応を進める必用があります。

①学校の行き帰りだけで無く、外出時には防犯ブザーを必ずもたせる、②子どもにもその旨伝え、自己強化に努めさせる、③可能な限り二人以上で行動させる、④家庭・学校等は、不審な行動を取る者の出現に注意を払う(子どもやご近所からの情報入手)、⑤地域ボランティア活動を再開させる、⑥あらためて警察の見守り強化をお願いする

コロナウイルス禍が始まる以前より,それ以上に子どもの安全に注意を払わねばなりません。
(文責  清永奈穂    2020・05・15)