「市民が日々遭遇する可能性の高い危機の実態把握とその最適な問題解決策」を確かなものとするための調査・研究そしてそれに基づく様々な提案をおこなう研究所です。

犯罪事件調査活動~事件現場に学ぶ

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犯罪事件現場調査報告   ~事件現場から学ぶ犯罪防止~

事件現場に学ぶ

弊所は子どもや女性が被害者の事件現場、また少年事件の現場などを訪れ、現場調査を行っています。

なぜここで、なぜこのような事件が起こったのか。犯人は何を思ったのか。被害者は何が無念だったのかを、現場から読み取ります。現場にはたくさんのヒントが隠されています。

私達は同じような事件を繰り返さないために、現場を歩き、視て、犯罪者の行動を分析しています。ここにあるのは、訪れた現場の一部です。各事件資料がございます。お問い合わせ下さい。

なお「事件現場に学ぶ ①広島」「事件現場に学ぶ ②今市」、「犯罪からの子どもの安全を科学する」(ミネルヴァ書房 2012 清永賢二監修 清永奈穂、田中賢、篠原惇理著)も御覧ください。

まだ、事件の全貌がつかめず(2013年7月15日時点)、容疑者がなぜこの場所で女児を殴打したのか不明な点は多々ありますが、一つ言えることは、非常に犯罪を「やりやすい」場所ではあったということです。側道と国道6号線の間のこの道は、非常に松戸の事件現場と酷似しています。

犯罪者は「近づきやすく」「逃げやすい」「いいなというイメージの場所」を狙っていきます。まさにこの現場は、一見見通しは良いですが、横からは見えにくく「近づきやすい」、横道、裏道が近くにあり、「逃げやすい」、そして普段人通りがないので人目がなく、反対側に飲食店もあるが視線が通りにくく、車の音で、悲鳴を上げたとしても音が通りにくい、まさに「(はんざいしゃからみて)いいな」と思わせる場所でした。

こういう場所で子どもの安全を守るにはどうしたらよいか。3つポイントはあります。一つは、環境を整えること。犯罪者はその土地が荒れているかいないかを見ていきます。草がぼうぼう生えているか、放置自転車があるか、落書きがあるか、掲示板が汚れているかなどです。なぜか。住んでいる住民が、その場所をきれいにしようと努力しているところは、もし自分が悪いことをすると見とがめられる確率が高いからです。しかし荒れている場所は、もし自分が悪いことをしても許される=つまり誰も見とがめられないと思うのです。  側道や、国道の横は、責任の所在があいまいで全国どこでも荒れている場所が多いのが現実です。しかしこれを放置していると、子どもや女性への犯罪、また高齢者を対象としたひったくりなども次々と起きてきます。環境をきれいにすることは犯罪防止につながります。

 二つ目は、見守りの目を強化すること。これは登下校の時のみならず、子どもがふらっと一人で歩いていたら、地域の人は「あれ、子どもがひとりで歩いているな、大丈夫かな」と視線を投げかけてあげることです。ただ、今回の場所は、地域の目が行き届きにくい場所でした。では、こういう場合どうしたらよいのか。それが3つ目の「子どもに安全基礎体力をつける」です。

 歩く、見る、きっぱり断る、叫ぶ、鳴らす、走る、地べたに寝転んで抵抗する、ひじを挙げてしゃがんで前に走る、噛みつく、などの行動がとっさにできるようにすることが必要です。(詳しいプログラムはこちらのページ)。それには、1.危機がどんなことなのか、どういうことをすれば回避できるのか「知る」、2.今どういうことをしなければならないか自分で「考える」、3.勇気を出してくじけずきっぱりと「行動する」ようにすること。

これは口で言う、耳で聞くだけでは到底できません

松戸女児刺傷事件(2)

<犯罪がおきやすい場所>

私たちの研究では、犯罪者は

「見咎められない」「獲物がある」「やりやすい」と思えば、どこででも犯罪を行うということがわかっています。

「やりやすい」をもっというと、「逃げやすくて近づきやすい」場所です。

今回は、まさにこのような場所で事件が起きてしまいました。

<子どもを大人にする安全教育>

さて、昨日三郷での中学生刺傷事件の犯人と思われる高校生が逮捕されました。

犯罪の被害者にならないためにも、そして加害者にさせないためにも、教育がとても重要です。

弊所顧問清永賢二教授と、清永奈穂は、1997年、放送大学特別授業「世界の非行少年」の教材作成および取材のため、

オランダ、英国、アメリカを訪れました。

 この取材の中で、どの国も「子どもをどういった大人に育てていくべきか」悩み、 試行錯誤をしていることが分かりました。

 英国でも、1997年当時、非行少年の問題や、ティーンエージャーの妊娠・出産の増加など、さまざまな子どもの問題がおきており、そこで英国政府は、根幹から子どもの教育を考え直すこと少しずつ始め出していたのです。

1997年に非行少年の精神世界と「心の教育」で、「非行を犯した少年の教育をどうするか」の結論として導き出されたのが、子どもを大人にすること、命の教育などを、少年が胎内にいるとき(すなわち0歳)からの系統的なプログラムの基で教育する必要があると言う強い思いでした。

 「世界の少年非行」取材後、1997年~1998年に清永(楊)奈穂が英国で調査研究、また1998年~1999年に清永教授がロンドン大学LSEの客員研究員として犯罪防止、また少年の規範教育の研究を進めていくうち、 「Citizenship Education(市民化教育)」の存在が明確になってきたのです。

A Fundamental Study on the Development of Educational Curriculum for the Problem Solvii ig of Misconducts among Young Juveniles in Japan through the Citizenship Education

研究課題番号:12610288


英国では、2000年から本格的に、子どもを社会的に大人にする教育「市民化教育」(Citizenship Education)が始まっています。

私たちは、子どもを被害者にも、加害者にもさせない、安全教育を目指しています。


松戸女児刺傷事件現場(2011年12月4日)

千葉県北松戸で起こった「小学生刺傷事件現場」に行ってきました。

犯人は実に上手い場所を選んでいます。選ぶ巧みさから犯人は、この場所を偶然に選んだのでなく、

前もってよく知っていたことがうかがえます。また被害者がこの場所を日常的に利用することも知っていたことが分かります。

しかし、ごく近くに同じ市立の小学校があり、環境は似通っているのに、なぜこの校区の子どもが犠牲者として選択されたか。もう少しデータが欲しいところです。そうすれば読みも深まるのでしょう。

環境的には、栃木県日光市の女の子が誘拐され殺された事件とも似通う臭いがしました(同じ犯人とはいいませんが)。

さらに分析を続けています。

熊本心ちゃん事件

事件に学ぶ

熊本「心ちゃん」事件;本当に被害者化を防ぐ手だてはなかったか

 この事件を報じる記事(新聞XとY紙、35日及び6日朝刊)を見る限り、次のような点が注目された。

①「警察庁幹部は『いきなり女児を襲って、殺害するような事件は防ぎきれない』と話している」。(既載)

②スーパーの死角が突かれた。(前回)

③トイレというプライバシー第1の密室性が突かれた。(前回)

④防犯カメラの「存在を知る」ことで犯罪の発生を減少させることはできる。しかしトイレの中や周辺にはあまりその存在を示すモノがなく、カメラの効果が発揮できない。(今回)

学ぶことの②

②と③を合わせて注目すると、「死角」「密室」という言葉が明確に定義されて使用されるべきではなかったか。

 死角は密室性と結びつき、「犯罪」という言葉にミステリアスで秘密めいた臭いをふりかける。

都市の死角、高層ビルの死角、家屋の死角。男女の死角。スーパーの死角。トイレの死角。

何でも「死角」という言葉を後ろにつけると、無機質で冷たい「犯罪」という言葉も深みを増し、人間そして人間が造りあげてきた人工物の犯罪への強い関わり、「犯罪」と「人間」の関わりが強調されてくる。

しかし、改めて「死角」とはどう定義されるのかと問われると思わずグッと息が詰まるのも事実だ。死角とは何か。

 「死角」を理解するには、そもそも犯罪とはどうして起こるか、から説き起こさねばならない。

 犯罪はなぜ起こるか。簡単なことだ。

犯罪者がいて被害者がおり、彼らを取りまく社会的物理的環境があるからだ。この3者が交わる真ん中の1点、そこで犯罪は起こる。この1点を犯罪者は「機会(chanceまたはopportunity)」という。いわゆる「チャンス」だ。これに対し同じ1点でも被害者は「死角(dead
angle
)」という。そして犯罪予防論の立場では「隙間」と呼ぶ。犯罪はこの隙間を突いて起こってくる。

犯罪は隙間産業だ。

被害者の立場からの「死角」をもう少し砕いて表現すると「見えない、見えにくい」ことをいう。周囲から見えにくい「死角」を「チャンス」として犯罪者は襲いかかるのだ。「密室」はこの「見えない、見えにくい」が完璧に形成されている空間に外ならない。

今回の熊本事件に焦点を当てよう。

事件現場は「トイレ」という「密室」であるが、そこに至る入り口は、店員や買い物客から極めて見通しの良いフロアーとなっている。見えるのである。「死角」ではない。ということはこのトイレに関して云うと最終的な女児と被疑者が対峙した「女性トイレそして死体をリュックに詰めた障がい者用トイレ」は、通常の「死角」概念で説明できるが、売り場フロアーの便所入り口から個室までのアプローチ(以下、アプローチ)は「死角」以外のあるいは「死角の別な説明概念」を必用とするということだ。今回事件のトイレのアプローチは防犯カメラも備わった、周囲から「見ようと思えば見えた」現場である。しかし誰も気がつかなかった。

ここで「トイレ」とはどういう空間か、という説明が必用となる。

トイレとはご不浄で恥ずかしい空間であり、出来れば見られたくない、見てはならない空間である。また緊急にして必要不可欠な空間でもあり、どの方角からでも駆け込める(閉じながら開いているという矛盾)、その必用とする姿を利用する者は見られたくない空間でもある。そこでトイレの入り口から最終的な密室空間まで「見られないよう」「見せないよう」しかし「できれば利用しやすいよう」な造りが求められることとなる。

しかし、この「閉じながら開く」という矛盾を解決する巧みな工夫はない。どちらかを犠牲にせねばならない。

そこで多くのデパートのトイレに見られるように、トイレは売り場の一番外れで、周囲から見えないよう(わざわざ不便さを求め)、かつ個室アプローチへの入り口手前に利用され易い、どちらからも駆け込めるよう(犯人側から見ると獲物に近づきやすく、逃げやすいという犯罪者行動の基本原理を満足させる)簡単なT字の壁を設けるという工夫がなされる。確かに視線は通らない見えない。

しかし今回の事件のトイレの場合は、アプローチ手前にT字の壁はなかった。このような場合はどうなのか。

見ようと思えばフロアーの店員やお客から「見えた」のである。結論からいうと「見えたけれども見えなかった」のである。

ここで「見える、見通せる」ということを考えておかねばならない。

「死角」は「見えない」ことであり、犯罪者が滑り込む隙間であることは前に述べた。いずれも「見ようと努力しても見えない」状態を産み出す。この隙間には①空間の隙間、②時間の隙間、③個人(心)の隙間、④人群れ(集団)の隙間がある。

しかし今回事件の場合、誰も「見ようと努力」していなかったのである。見えたのに見えなかった。それは「今回事件がトイレを舞台」として起こったということに起因している。即ち、誰も「トイレ」を見ようとしなかったのである。なぜ見ようとしなかったのか。先に述べたようにトイレが見てはならない空間であったからだ。じろじろ、または注視しては変で怪しいのだ。

「死角」の場合は注視する、注視しようと努力しても「見えない、見通せない」のに対し、トイレの場合は「注視できずに、そしてかつ(and/or)入ってしまえば完璧に視線が遮断」されてしまうのである。

ここで大切なのは「注視できない」ということで、多くの人は「さりげない無関心」を装い注視しない。つまり(注視することが職業化している人、あるいは余程の変態かを除いて)見えても見えない、見ようという努力を放棄した状態を作り出すのである。

即ち、今回事件の背後には、努力して注視しても見えない「死角(個室という密室)」と合わさって、注視しようとしない努力をする「さりげない無関心(トイレというご不浄空間全体)」が作用し、周囲の店員やお客さんからの視線を奪っていたのである。

この分け目は大切である。なぜならこうしたトイレのような空間に対する犯罪防止の重要な鍵を与えてくれるからである。自然で嫌みを伴ない鍵がここから得られる。環境設計論(CPTED)からの工夫だ。

どのようなことかは後に述べたい。

安易に「死角」という言葉を使うな、使うことによって犯罪はなぜ防げなかったのかという考えを煮詰めてゆく努力を放棄させ、再度の事件を招きかねない、という教訓をこの事件は教えてくれる。

        (子どもの安全教育グループAEC(エース)代表  清永奈穂 2011年3月9日)

学ぶことの③

④に注目すると、「防犯カメラ」はなぜ事件を防げなかったか、が論議されねばならない。

防犯カメラには、いま現在、「今起ころうとしている犯罪」を引き留める機能は殆ど期待できない。起こった犯罪を解決する機能は発達してきている。

カメラの記録映像をつなぎ合わせ、犯人をトレースし追跡することによって事件を解決する。最近では東京・目黒で起こった「不意の侵入者による家人殺傷事件」の解決に、こうした手法が大きな役割を果たした。

こうしたことだけでなく、新宿駅の雑踏の中で特定人の行動を追跡するといった「カメラとソフト協働」の開発も進んでいる。さらに漆黒の闇の中でも「白昼」のごとく遠方から色付で映し出せる超高感度カメラが既に開発され、先に開発されている人間の移動行動と組み合わされようとしている。

 防犯カメラのこうしたトレース機能について、少なくとも1999年のイギリスでは日常化していた。いわゆる「ジル・ダンドー(テレビ・人気女性キャスター)射殺事件」で、彼女の1日を街頭テレビ(CCTV)の記録を繋いで再現し、最終的に被疑者にたどり着いている。その時、ついでに話題になった防犯カメラ関連の新聞記事として「第2のロンブローゾが出現するか」というのが注目された。

 T.ロンブローゾとは、19世紀イタリアの医者で「犯罪者の骨相学」を唱えたことで著名である。彼は犯罪者は他と異なる骨相・骨格を持っているという。額(ヒタイ)は狭く云々。彼の主張は、その後の医学と犯罪学の進展そして犯罪事実によって破綻してゆく。

 しかし1999年、「The Times」は大まじめに「ロンブローゾは復活する」と述べた。その背景には、既に写し取っている犯罪者の顔写真を基に、どの様な角度からからでも通行人の顔を防犯カメラ(cctv)で写し、先の犯罪者の顔骨格と一瞬に照合し(どの様な角度でも)、3分間で犯罪者を検挙することができる、というアルゴリズムの開発と実証実験が進んでいるという事実があった。この工夫は実験段階を終え、既にイギリスのフーリガン対策に既に使われているという噂がある。

ここまで来ると防犯カメラは、犯罪予防に大きく寄与することが出来ることとなろう。反面、想像を超えた恐ろしい事象も起こることが予想される。

ともかく現在の防犯カメラには犯罪者の犯行直前の行動を抑止することは出来ない。がしかし、本当に出来ないか。人間と防犯カメラを連結し、写すことはカメラで動くことは人間で、とい役割分業は果たせないか。

1990年、思い出す2つのシーンがある。ニュヨーク5番街の宝石店の通り、同じくペンシルバニア駅(ペンステーション)構内トイレ前の2シーンである。

5番街宝石店の前を夜間1時頃(当時、ニュヨークでも何処がどの様に危ないかを知っておれば深夜でも歩けた)歩いていた。宝石店のショウウインドーからは宝石がしまわれ消えていた。その代わりにウインドウの中には「テレビモニター」が一台。その画面には店の奥の金庫室が写されていた。通行人は自然にその画面を見ることで金庫見張り番をさせられていたのだ。

ペンステイション・トイレ前。そのトイレ前には簡単な席が置かれ休めるようになっていた。その頭上にはテレビモニター。そうその画面にはトイレ入り口が映っており、座って休んでいる人は自然なそうとは意識しないトイレ監視人の役割をおおせつかっていたのだ。

犯罪者は犯罪行動の最終場面では「人間の目、手足」を非常に気にする。防犯カメラや警報音なぞ問題にならない。5番街やペンステーションに見るよう、防犯カメラと人間のこうした組み合わせがあることを教える。

犯罪防止論の視点からいえば監視には、①人口監視、②自然監視の2種がある。5番街やペンステーションの例は、人口監視(防犯カメラ)と自然監視(人間の目)組み合わせた巧みな監視だ。こういうことを考えるのが「環境設計(CPTED)による犯罪防止」という。

CPTEDの視点で今回事件をみると、事件現場であるトイレ入り口には防犯カメラはついていた。十分。しかし犯罪企図者の行動は止めることが出来なかった。必用にして不十分。その理由として、1つは「カメラ有り」のステッカーが貼られていなかったことがあげられる。カメラは写すことは出来てもアクションを起こせない。せめてステッカーでも、とは考えられる。

私であったならばペンステーションの例に基づき、防犯カメラのモニターを便所前フロアーに示す。しかしこれでは、モニターに遠方からでも常時人の出入りが連続して明示されてしまう。出来れば、トイレには前回述べたような「見えても見えない振り」つまり人々の「さりげない無関心」を利用者や周囲に満足させる工夫がなされねばならない。

そこでトイレへのエントランス入り口に「鏡(交通で道路曲がり角に付けられたような、しかし小さな鏡)」を取り付ける。そしてその下に「このトイレはみんなで見守っています」というステッカーを貼る。

この鏡をじっと凝視する者はそれこそ不審者だ。反面、売り場の店員はこの鏡を「チラチラ」と見るあるいは意識することで自然監視のトイレ定点観測員の役割を果たす。これによって店側は「さりげない様子」をしながら「さりげない無関心」から「さりげない関心」へと垣根を越えることが出来る。

こうした工夫をする者をイギリスでは「建築担当警察官」という名前を与えて専門職化している。この専門職の養成は既に30年以上の歴史を持つ。

今回事件に対し、何もできないのではない。出来ることはたくさんある。知恵。これなしに防犯カメラをともかく普及させれば良い、という考えは危ない。

「物」に頼った「人が犯した犯罪を機械で防止」しようという防犯はどこかで破綻する。「人間―機械」の連結を緻密に工夫すべきであろう。

今回の心ふさぐ痛ましい事件は、防犯における「Human Interface」的発想の必用なことを痛感させる。

 今まで以上に防犯カメラの機能を進化させる事は賛成だ。

ただ怖い事は、犯罪者あるいはそうした集団が、彼らの標的(被害者)と警官等の動きを把握し、彼ら犯罪者の行動を効率よく運ぶため、彼ら犯罪者の方でも防犯カメラを用いるよう学習しているという情報が入ったことだ。

追われる者が追う者を監視する。笑えぬ喜劇あるいは悲劇が進行している。進化には正と悪の二面が備わっている事を常に心得ておかねばならない。

「心ちゃん」、あなたの大きな未来を奪った、周りに悲しみの渦を巻き起こした、今回のような事件が二度と起こらないよう私たちも力の限り精一杯努力します。

                     (©清永奈穂、清永賢二2011)

山口県宇部市女児刺傷現場調査

山口県宇部市女児刺傷現場
山口県宇部市女児刺傷現場

2011年1月30日 山口県宇部市でおきた女児刺傷事件現場実査にいってまいりました。被疑者宅周囲300メートル以内をくまなく歩き、学校からの通学路も歩いてまいりました。ただいま被疑者がどうやって犯行に及んだのか、分析を進めています。

(報告書一部)

現場を観察すると、現場の街路は、丘状の高台の麓に位置し、その麓から丘の頂上へは旧来の家並みが繋がり、そこに広がる赤い煉瓦塀で囲われた家々の「質」は最近の俄作りの家と異なり、おそらく昔は「山の手」地区を形成していたであろうことが忍ばれる。

しかし、その丘の裾のエリアは、思った通り、旧来の家屋群の破壊が進み、ゴミ捨て場と化した広大な屋敷、新築戸建て住宅、駐車場という名の空き地、アパートが混在している。

その丘の麓の一隅で今回の事件は発生した。清永が予想した、最近の子ども被害事件を生み出す4つの地域パターンの内の一「崩壊する地域」であった。

おそらく、女児は、広い道幅(幅2.5~3メートル)の通学路から刺傷事件現場(そこから横道に逸れる)に連れ込まれ(たぶん、刃物等で脅かされたのではないか)、と思われる。

現場に繋がってゆく横道(細街路)は、通学路に対し三叉路を形成し、道幅は1メートル強と狭くなり、さらに横道奥に位置した刺傷現場(スポット)は、 Lの字状に折れ曲がりた位置にあり、通学路(人通りも多く、車も通る)からは全く見通しの悪い状況となっている。

ここは、いわゆる「見えにくい」位置には該当するが、「入りやすい」場所ではない。逆に、通常は通学路から逸れて入らなければならない、また、道幅が非常に狭いだけ、そこの住人の「ニオイ」が漂う空間となっており、なにやら「不意に人が現れるのではないか」と落ち着かない気分にさせる道であり、そのような事件現場に出入りする事は不審者視されかねない。

現在、犯人(被疑者は拘束されているが、まだ犯人と断定されていない)は、おそらく「ここで『瞬間的に』何かをやろうとした」あるいは「さらに何処かに連行し長い時間掛けて何かをやろうとした」と考えられる。©清永賢二、清永奈穂

都内不審者出現現場調査

都内某所不審者出現現場
都内某所不審者出現現場

都内で頻繁に不審者情報がだされる場所を調査、分析中です。新しい安全マップの作成教材を作成するため、犯罪多発地点、不審者出没地点を現場実査しています。

大阪住吉女児殺傷事件現場調査

大阪女児刺傷事件現場
大阪女児刺傷事件現場

2010年11月2日、大阪で2010年5月に起きた刺傷事件現場調査を行いました。

通り魔事件のように思われたこの事件、実は違います。

現場調査分析から、犯人はしっかりと下見をし、確実にこの女児を狙っていたことがわかりました。

インタビュー、現場調査報告書に関してのお問い合わせはこちらまで。

島根県女子大学生殺害事件

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兵庫県女児殴打事件

平成21年9月19日(土)午後0時半ごろ、兵庫県姫路市網干区興浜付近の路上で、近くに住む市立小学1年生の女児が、男に突然、拳で腹を2回殴られた。留以ちゃんは肝臓から内出血しているが軽傷。男は近くに止めていた自転車で東へ逃げた。県警網干署は傷害事件として調べている。


この事件は女児が20m逃げているにも関わらず、被害に遭っている。現地調査を含め研究を行った。

防犯自販機

2009年6月28日愛知県豊橋市の運動公園にて器物損壊の現行犯逮捕された現場

現場はのどかな大規模公園の入り口にあり、ここに防犯機能付き自販機は1台あるのみであった。自販機備え付けのセンサーライトは破壊されており、逮捕当日段階ではその点の原状回復はされていないが、周囲を含めてきれいに落書き等は消されていた。

電話を取るために扉を開けると通報システムが警告音を出す仕組みになっていた。 確かに防犯カメラは付いているが、周囲を広く写す角度では付いてはいない。プライバシーと防犯を考える1つの事件である。

千葉県東金市 5才女児殺害事件現場調査

2008年9月21日、午後0時半頃、千葉県東金市東上宿の東金南公園近くの路上で5才の女児が遺棄されていた現場近くでの鑑識活動。


数日後に現場へ行ったこともあり、黄色いテープが辺り一帯に張ってありました。 付近を歩く住民の方の取材で、「この辺は追っかける人がいてもしかするとねぇ」という話を伺っておりました。たいてい保育園へは車での送り迎えで、1人で子どもをとぼとぼ歩かせることは少ないということでした。


子どもの歩き方は「防犯先生の子ども安全マニュアル」にて詳しくかかれています。

福岡県小戸公園 男児殺害事件 現場調査


2008年9月18日、福岡県福岡市西区小戸2丁目の小戸公園で、男児(6歳)が遺体で発見された事件現場です。

男児発見現場は、この献花台の脇の溝に体育座りで素足でいたとのこと。靴は近くに置いてあり暴れた様子もなくただ座っているように見えたということでした。 この溝には地元の人も「覚えがない」というコメントでした。


小戸公園自体は広大な敷地で人がぶつかるような所でありません。普段の公園はのどかでとても良いところではあります。


しかしながら、公園内には多数の放置自転車や、よくわからないテントや、落書きなど、コミュニティーとしてのほころびが感じられる場所でもあります。


10年前にはこうしたデザイン重視の中には安全への意識が低い場合があります。


現在では有料トイレ化や、人的配置をすることで人の目を安全性を少しでも高める努力が成されています。小戸公園では管理課が点検に回っています。

お気軽にお問い合わせください TEL 03-3946-5203 office hours 9:00-18:00<土・日・祝日除く>

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