• ポスト・コロナウイルス禍後、「防犯・子ども見守りボランティア」が重大な転換期(枠組みの根本的組みかえ)を迎える

1.ボランティア数のマクロな動き

最初の稿で掲げた防犯・子ども見守りボランティア数(以下防犯ボランティア数)の動きを再掲したい(下図参照)。

2019年のコロナショックの前に既にボランティア数(警察庁把握)は横ばいから漸減し始めていた。そのような状況へ2019年のコロナショックが被さった。ここからは推測であるが、コロナウイルス禍のただ中にあるミッド(ウイズ)・コロナ期(2019~2024/5年)においては、おそらく防犯ボランティア数は減少化傾向を強めざるを得なくなっている。それも急速/大幅にだ。

実際全国の既存防犯ボランティア活動参加者からコロナ自粛要請により活動を停止せざるをえない、さらにその要請が解けても前のように「ボランティア行こうか」と腰がなかなか上がらず「年も年だしこのままボランティア止めようか」などの悩みの声が数多く寄せられている。

こうした落ち込みは、2019年のコロナショックがなくとも、その落ち込み曲線はやや緩くなるかも知れないが、当然起こりうることと考えられた。それは、日本の将来人口の趨勢を示したグラフから導き出される。添付図に見るように日本の少子高齢化は、これから一層進行すると計算される。少子高齢化だ。

このことは、当然高齢者に頼ってきた地域防犯・子ども見守りボランティアの構成者の一層の高齢化の進行を表す。当然本シリーズの最初に掲げたボランティア対象意識調査に見るように「ボランティアの息切れ」「代わってもらえるなら誰かにお願いしたい」「もう引退だ」を加速させる。

コロナショックがあろうと無かろうとボランティア数と参加者は、減少傾向を辿り、その勢いをショックが強く後押ししただけなのだ。

それでは私たちは、子どもを見守るボランティア活動は今後減少傾向を辿ると評論家的に冷徹に見なしただけで良いのか。

 

2。ポスト・コロナウイルス禍の防犯・子ども見守りボランティア

ポスト・コロナウイルス禍の社会では、これからの高齢化と並行して少子化が進む。まさに「子どもは親・社会の宝」としての大切さが一層進む。その一方で子どもをターゲットとする妄想に支えられた大人の負のエネルギーは、今後さらに膨張することはあっても減少/縮小することは考えられない。超情報化社会における妄想の肥大化とは、そう言うものである。情報の商業主義がそれをエクセレレートする(これはまた別な問題)。

即ちポスト・コロナウイルス禍の社会にあっても「親・社会の宝である子どもを見守る目」の存在の重要性は変わらない。むしろ一層増す。しかし現実の高齢化社会は、そのボランティア数と参加者の存在を縮小させようとしている。この乖離を埋めるには、どうしたらよいか。

 

3.ポスト・コロナ化社会のボランティア

以上のようなペースで記述するのは、時間的に無理がある。以下の記述はヶ条書き的に述べることで終わらせたい。

❶2025/6年以降のポスト・コロナウイルス禍時代にあってボランティア組織と参加者は悲観的に見て減少する(図中②)。楽観的見て良くて横ばい、あるいは微増であろう(図中➀)。

おそらく防犯カメラと地域ボランティアに地域と子どもの安定(安全安心)を求めてきた警察等の行政機関は、この現実に「あの手この手」のボランティア加増努力を繰り出すに違いない。それがボランティア数の微増あるいは横ばいだ。しかし」高齢化社会を背景にコロナショックで離れたボランティアに参加エネルギーを注入し、再度活動を活性化するのは容易なことではあるまい。

❷しかし親や社会からの「子ども見守り」の必要性とニーズは変わらない。むしろ増すとみた方が良い。何せ貴重な宝だ。親や地域社会vs警察等の治安機関との間にconflictが生じる場面もあるかも知れない。」

➌この減少とニーズの乖離を埋めるには、矢張り矛盾するようであるが、プレあるいはミッド・コロナウイルス禍期のような地域ボランティアによる防犯/子ども見守りスタイルが採用されねばならない。ただしプレあるいはミッドコロナウイルス禍期のようなボランティアでなく、質的に全く異なった地域ボランティアでなくてはならない。同じだったら参加しない。

❹幸いなことにボランティアを必要とする他の危機事態発生時に見るように「ボランティアとしてその時その場に参加しよう」という精神は国民の間に年齢・性・居住地を問わず培われ、国民性として定着してきている(是非統計数理研究所の故林知己夫先生が主導したシリーズ「国民性の研究」を一読されたい)。もともと日本としてには、国民性として「困っている人に何かしてあげたい」、「いらぬオッセカイをやきたい心」(例えばとんだお節介ではあったが仲人口)があった。この心は、古くさく隣近所関係を因習的に縛る困った働きをするものではあったが、それでも「困ったときはお互い様」「おもてなし」などという心持ちを生みだしていた。

この古くさい精神を衣装替えし21世紀という時代に応じた新しい様相を整え、それを生かした防犯・子ども見守りボランティア組織と活動様式が工夫されねばならない、またそれは必ずできるし、理論的にも組み立てられつつある。起死回生の一策、逆転の発想、原点復帰の策、とも表現できるかも知れない。

実際この理論に沿って私たちの周辺(基礎的自治体など)で目に見える形で新しいボランティア活動が始まっているし、始まろうとしている。

❺即ちポスト・コロナウイルス禍の時代のボランティア活動に参加しようとする人には、これまでと全く異なる参加様式を設定し活動を進めねばならない。

ボランティア数や参加者を増えれば良いという量の時代から、参加するボランティアの参加意識や参加方式等の質を問う新たな時代に変化させねばならない。

❻そのためには、ボランティアの概念(ボランティアとはいかなる精神に支えられたモノか)、その精神を可視化し継続・持続さすためにはどのような資源が必要で、その資源をいかに動員し、組み立て手行くかなどの根本的検討がなされねばならない。

そういう意味でわが国は、コロナウイルス禍の時代を経て、「上から云われ動員されるボランティア」あるいは「安上がりのボランティア」や単線型の「単純ボランティア」から、日常生活全般を複眼的に視野に収めつつ、「なぜボランティアか」「なぜボランティアに参加するのか」を改めて問い「あなたも私も納得して参加」する本物のボランティア活動志向のボランティア活動の時代へと入っていったと考えられる。それがコロナウイルス禍が多くの人の苦悩と泪の上に残した遺産である。

❼最後に残された問題としてミッド(ウイズ)。コロナ禍とポスト・コロナ禍の端境期をどう埋めるかを検討しておく必要がある。防犯・子ども見守りボランティア活動の端境期(空白期)が生じる恐れがある。その空白は、子ども被害事件の多発として顕在化してくる恐れが多分にある。この空白を埋めることを意識して関東地方のある自治体では新しい取り組みを始めた。

そうした取り組みが始まったことだけを報告しておく。

(文責 清永賢二 清永奈穂 2020・07・27)