記事の内容に以下の様な文章があった。
「(前略) 23日に亡くなったプロレスラーの木村花さん(22)をめぐっては、SNS上で、木村さんの出演番組での言動を非難するような内容の投稿が相次いでいました」と二行にも満たない「花さんが死に至る前後の状況」を書いたものであった。僅か二行。しかし私には分かる。花さん、その「いたぶり、嘲り、脅迫、恐喝、恫喝」がどんなに執拗で一方的で、正対せず、四方八方から正義を振りかざしてくるものであるかを。反論は許されない。
花さん、どんなに泣いたか苦しかったか私には分かる。
 私自身2019年5月に発生した「川崎市登戸児童殺傷事件」現場に赴いて実査をしていたとき受けたTVインタビューで「笑いながらインタビューを受けた」、と現場では有りもしない写真(他から切り取ってきた写真。TV会社が確認)付きでネットの上に載せられ大炎上した事件に遭遇した。本当に酷い体験であり、一時、事務所を閉ざし、自室に引きこもらざるを得ないほどの状況に陥った。この1年多くのTV出演は「何をSNS上にの知られるか分からない」恐怖心からことわらせていただいた。
1年経過した今でもときに思い出したように非難の電話がかかる。そのたびごとに私の胸はおののき震える、またかと。今でも電話がかかるたび「身構える。
滑稽なのは「見た」と言いながら、私の「姓と写真」を間違えて投稿して来る方がおられたことである。今も居る。私は「清永(KIYONAGA)」であり清水(SHIMIZU)」ではない。写真は10年ほど前のもの。明らかに私の現場インタビューを見ていない(https://ya・・・さん)。ただ「のり」の面白さとエゴイスティックな「正義の達成感の獲得」そして「炎上商業の成立」を目的として。恥ずかしいと思え。礼儀(人としてのルール)として人の名前くらいは、間違えずにきちんと書け。
裁判にしようかと思いある方々にお願いし、ネット上で最初に発信した人物を調べた(その気になれば調べることができる)。私は開いた口が塞がらなかった、私が非常によく知っていた人物(後になって思えば、そうしても不思議でない)が最初の火をつけていた。これが炎上の怖さの一つでもある。火種がなくとも時や場所を選ばず炎はあがる。「燃やしてやろう」という悪意(mariciousness)さえあれば。「いじめ」と同じ構造。
怖かった。私を優しく支えてくれている方々への強い不信感と憎しみ。そんな気持ちを抱く自分への嫌悪感。今でもコロナウイルス禍と同様、いつ炎上するかも知れないという恐怖感が時として襲う。
そのときの精神状態は、おそらく「花さん」、あなたと同じであったと思う。花さん、ごめんなさい、何ほどの力にもなってあげることができなかった。私の体験から言うと一言で良い「あなたの本当の姿は、そんな人ではない」という優しさが伝わってきたら絶対に自殺などしない。僅か一言で良い。「あなたをじっと見てあげてるよ」と。それが私たちの言う「見守り」だ。
私たちは、そのとき以来、発信するネット上の情報に関しては「文責」として自分の名前と発信日を必ずつけている。
正々堂々。コロナウイルス禍の下、この言葉を呼び起こそう。嘘をつくな。あまりに早く行きすぎた花さんのために。
(文責  清永奈穂     2020・05・26)