ステップ総合研究所 最新ニュース

東日本関東大地震と犯罪防止

東日本大震災と犯罪防止

①送って取りあえず喜ばれる小物(チェーンと防犯ブザー)

 

罹災者の苦難がこれから本格的に始まる。生命と生活維持への苦しい闘いである。

 

同じ被災者そして避難場所に住まう者として「コミュニテイ(共に一緒に居るために何が出来るだろうと考えて人々の集まり)」が形成されることは間違いない。

 しかし生命と生活維持の強い不安があるに違いない。「安全安心」が脅かされている。

そこで阪神淡路大震災で学んだことを全国の防犯団体や防犯に勤めているたちに「ともかく出来ること」を伝えたい。

 

①罹災者は今、自分が持っている物を、ともかく、身辺に安全に確保しておきたい。

 このことを確かにするため、自転車の「盗犯防止のためのチェーン」が有効である。

 停めた自転車、身の回りのちょっとした物を動かない物に固定する等々。

 

②手で提げるくらいの持ち物が身辺から不意に離れるのを覚知するための「防犯ブザー」。

防犯ブザーの引きヒモを別な長めのヒモで結び、不意に引っ張られるとブザーが鳴り響くようにする。

 

こうした一寸した工夫でも、夜安心して眠ることを確かにしてくれる。心配なく熟睡出来るということは本当に嬉しいことだ。

あまりに多くのチェーンやブザーがあってもどうにもならないが、少なくとも1家に1個は必用であろう。

悪質商法が出始める前に、全国の方々のこうした小さな支援は可能である。

 

事件に学ぶ 熊本「心ちゃん」事件:本当に被害者化を防ぐ手立てはなかったか ③防犯カメラ

事件に学ぶ

熊本「心ちゃん」事件;本当に被害者化を防ぐ手だてはなかったか③防犯カメラ

 この事件を報じる記事(新聞XとY紙、35日及び6日朝刊)を見る限り、次のような点が注目された。

①「警察庁幹部は『いきなり女児を襲って、殺害するような事件は防ぎきれない』と話している」。(既載)

②スーパーの死角が突かれた。 (前回)

③トイレというプライバシー第1の密室性が突かれた。 (前回)

④防犯カメラの「存在を知る」ことで犯罪の発生を減少させることはできる。しかしトイレの中や周辺にはあまりその存在を示すモノがなく、カメラの効果が発揮できない。 (今回)

 

 

 学ぶことの③

④に注目すると、「防犯カメラ」はなぜ事件を防げなかったか、が論議されねばならない。

 

防犯カメラには、いま現在、「今起ころうとしている犯罪」を引き留める機能は殆ど期待できない。起こった犯罪を解決する機能は発達してきている。

 

カメラの記録映像をつなぎ合わせ、犯人をトレースし追跡することによって事件を解決する。最近では東京・目黒で起こった「不意の侵入者による家人殺傷事件」の解決に、こうした手法が大きな役割を果たした。

 

こうしたことだけでなく、新宿駅の雑踏の中で特定人の行動を追跡するといった「カメラとソフト協働」の開発も進んでいる。さらに漆黒の闇の中でも「白昼」のごとく遠方から色付で映し出せる超高感度カメラが既に開発され、先に開発されている人間の移動行動と組み合わされようとしている。

 

 防犯カメラのこうしたトレース機能について、少なくとも1999年のイギリスでは日常化していた。いわゆる「ジル・ダンドー(テレビ・人気女性キャスター)射殺事件」で、彼女の1日を街頭テレビ(CCTV)の記録を繋いで再現し、最終的に被疑者にたどり着いている。その時、ついでに話題になった防犯カメラ関連の新聞記事として「第2のロンブローゾが出現するか」というのが注目された。

 

 T.ロンブローゾとは、19世紀イタリアの医者で「犯罪者の骨相学」を唱えたことで著名である。彼は犯罪者は他と異なる骨相・骨格を持っているという。額(ヒタイ)は狭く云々。彼の主張は、その後の医学と犯罪学の進展そして犯罪事実によって破綻してゆく。

 

 しかし1999年、「The Times」は大まじめに「ロンブローゾは復活する」と述べた。その背景には、既に写し取っている犯罪者の顔写真を基に、どの様な角度からからでも通行人の顔を防犯カメラ(cctv)で写し、先の犯罪者の顔骨格と一瞬に照合し(どの様な角度でも)、3分間で犯罪者を検挙することができる、というアルゴリズムの開発と実証実験が進んでいるという事実があった。この工夫は実験段階を終え、既にイギリスのフーリガン対策に既に使われているという噂がある。

 

ここまで来ると防犯カメラは、犯罪予防に大きく寄与することが出来ることとなろう。反面、想像を超えた恐ろしい事象も起こることが予想される。

 

ともかく現在の防犯カメラには犯罪者の犯行直前の行動を抑止することは出来ない。がしかし、本当に出来ないか。人間と防犯カメラを連結し、写すことはカメラで動くことは人間で、とい役割分業は果たせないか。

1990年、思い出す2つのシーンがある。ニュヨーク5番街の宝石店の通り、同じくペンシルバニア駅(ペンステーション)構内トイレ前の2シーンである。

 

5番街宝石店の前を夜間1時頃(当時、ニュヨークでも何処がどの様に危ないかを知っておれば深夜でも歩けた)歩いていた。宝石店のショウウインドーからは宝石がしまわれ消えていた。その代わりにウインドウの中には「テレビモニター」が一台。その画面には店の奥の金庫室が写されていた。通行人は自然にその画面を見ることで金庫見張り番をさせられていたのだ。

 

ペンステイション・トイレ前。そのトイレ前には簡単な席が置かれ休めるようになっていた。その頭上にはテレビモニター。そうその画面にはトイレ入り口が映っており、座って休んでいる人は自然なそうとは意識しないトイレ監視人の役割をおおせつかっていたのだ。

 

犯罪者は犯罪行動の最終場面では「人間の目、手足」を非常に気にする。防犯カメラや警報音なぞ問題にならない。5番街やペンステーションに見るよう、防犯カメラと人間のこうした組み合わせがあることを教える。

犯罪防止論の視点からいえば監視には、①人口監視、②自然監視の2種がある。5番街やペンステーションの例は、人口監視(防犯カメラ)と自然監視(人間の目)組み合わせた巧みな監視だ。こういうことを考えるのが「環境設計(CPTED)による犯罪防止」という。

 

CPTEDの視点で今回事件をみると、事件現場であるトイレ入り口には防犯カメラはついていた。十分。しかし犯罪企図者の行動は止めることが出来なかった。必用にして不十分。その理由として、1つは「カメラ有り」のステッカーが貼られていなかったことがあげられる。カメラは写すことは出来てもアクションを起こせない。せめてステッカーでも、とは考えられる。

 

私であったならばペンステーションの例に基づき、防犯カメラのモニターを便所前フロアーに示す。しかしこれでは、モニターに遠方からでも常時人の出入りが連続して明示されてしまう。出来れば、トイレには前回述べたような「見えても見えない振り」つまり人々の「さりげない無関心」を利用者や周囲に満足させる工夫がなされねばならない。

そこでトイレへのエントランス入り口に「鏡(交通で道路曲がり角に付けられたような、しかし小さな鏡)」を取り付ける。そしてその下に「このトイレはみんなで見守っています」というステッカーを貼る。

 

この鏡をじっと凝視する者はそれこそ不審者だ。反面、売り場の店員はこの鏡を「チラチラ」と見るあるいは意識することで自然監視のトイレ定点観測員の役割を果たす。これによって店側は「さりげない様子」をしながら「さりげない無関心」から「さりげない関心」へと垣根を越えることが出来る。

 

こうした工夫をする者をイギリスでは「建築担当警察官」という名前を与えて専門職化している。この専門職の養成は既に30年以上の歴史を持つ。

 

今回事件に対し、何もできないのではない。出来ることはたくさんある。知恵。これなしに防犯カメラをともかく普及させれば良い、という考えは危ない。

「物」に頼った「人が犯した犯罪を機械で防止」しようという防犯はどこかで破綻する。「人間―機械」の連結を緻密に工夫すべきであろう。

 

今回の心ふさぐ痛ましい事件は、防犯における「Human Interface」的発想の必用なことを痛感させる。

 

 今まで以上に防犯カメラの機能を進化させる事は賛成だ。

ただ怖い事は、犯罪者あるいはそうした集団が、彼らの標的(被害者)と警官等の動きを把握し、彼ら犯罪者の行動を効率よく運ぶため、彼ら犯罪者の方でも防犯カメラを用いるよう学習しているという情報が入ったことだ。

追われる者が追う者を監視する。笑えぬ喜劇あるいは悲劇が進行している。進化には正と悪の二面が備わっている事を常に心得ておかねばならない。

 

「心ちゃん」、あなたの大きな未来を奪った、周りに悲しみの渦を巻き起こした、今回のような事件が二度と起こらないよう私たちも力の限り精一杯努力します。

                     (清永奈穂、清永賢二)

 

 

学ぶことの②

②と③を合わせて注目すると、「死角」「密室」という言葉が明確に定義されて使用されるべきではなかったか。

 

 死角は密室性と結びつき、「犯罪」という言葉にミステリアスで秘密めいた臭いをふりかける。

都市の死角、高層ビルの死角、家屋の死角。男女の死角。スーパーの死角。トイレの死角。

 

何でも「死角」という言葉を後ろにつけると、無機質で冷たい「犯罪」という言葉も深みを増し、人間そして人間が造りあげてきた人工物の犯罪への強い関わり、「犯罪」と「人間」の関わりが強調されてくる。

 

しかし、改めて「死角」とはどう定義されるのかと問われると思わずグッと息が詰まるのも事実だ。死角とは何か。

 「死角」を理解するには、そもそも犯罪とはどうして起こるか、から説き起こさねばならない。

 

 犯罪はなぜ起こるか。簡単なことだ。

犯罪者がいて被害者がおり、彼らを取りまく社会的物理的環境があるからだ。この3者が交わる真ん中の1点、そこで犯罪は起こる。この1点を犯罪者は「機会(chance またはopportunity)」という。いわゆる「チャンス」だ。これに対し同じ1点でも被害者は「死角(dead angle)」という。そして犯罪予防論の立場では「隙間」と呼ぶ。犯罪はこの隙間を突いて起こってくる。

犯罪は隙間産業だ。

 

被害者の立場からの「死角」をもう少し砕いて表現すると「見えない、見えにくい」ことをいう。周囲から見えにくい「死角」を「チャンス」として犯罪者は襲いかかるのだ。「密室」はこの「見えない、見えにくい」が完璧に形成されている空間に外ならない。

 

今回の熊本事件に焦点を当てよう。

 

事件現場は「トイレ」という「密室」であるが、そこに至る入り口は、店員や買い物客から極めて見通しの良いフロアーとなっている。見えるのである。「死角」ではない。ということはこのトイレに関して云うと最終的な女児と被疑者が対峙した「女性トイレそして死体をリュックに詰めた障がい者用トイレ」は、通常の「死角」概念で説明できるが、売り場フロアーの便所入り口から個室までのアプローチ(以下、アプローチ)は「死角」以外のあるいは「死角の別な説明概念」を必用とするということだ。今回事件のトイレのアプローチは防犯カメラも備わった、周囲から「見ようと思えば見えた」現場である。しかし誰も気がつかなかった。

 

ここで「トイレ」とはどういう空間か、という説明が必用となる。

 

トイレとはご不浄で恥ずかしい空間であり、出来れば見られたくない、見てはならない空間である。また緊急にして必要不可欠な空間でもあり、どの方角からでも駆け込める(閉じながら開いているという矛盾)、その必用とする姿を利用する者は見られたくない空間でもある。そこでトイレの入り口から最終的な密室空間まで「見られないよう」「見せないよう」しかし「できれば利用しやすいよう」な造りが求められることとなる。

 

しかし、この「閉じながら開く」という矛盾を解決する巧みな工夫はない。どちらかを犠牲にせねばならない。

そこで多くのデパートのトイレに見られるように、トイレは売り場の一番外れで、周囲から見えないよう(わざわざ不便さを求め)、かつ個室アプローチへの入り口手前に利用され易い、どちらからも駆け込めるよう(犯人側から見ると獲物に近づきやすく、逃げやすいという犯罪者行動の基本原理を満足させる)簡単なT字の壁を設けるという工夫がなされる。確かに視線は通らない見えない。

 

しかし今回の事件のトイレの場合は、アプローチ手前にT字の壁はなかった。このような場合はどうなのか。

見ようと思えばフロアーの店員やお客から「見えた」のである。結論からいうと「見えたけれども見えなかった」のである。

 

ここで「見える、見通せる」ということを考えておかねばならない。

 

「死角」は「見えない」ことであり、犯罪者が滑り込む隙間であることは前に述べた。いずれも「見ようと努力しても見えない」状態を産み出す。この隙間には①空間の隙間、②時間の隙間、③個人(心)の隙間、④人群れ(集団)の隙間がある。

 

しかし今回事件の場合、誰も「見ようと努力」していなかったのである。見えたのに見えなかった。それは「今回事件がトイレを舞台」として起こったということに起因している。即ち、誰も「トイレ」を見ようとしなかったのである。なぜ見ようとしなかったのか。先に述べたようにトイレが見てはならない空間であったからだ。じろじろ、または注視しては変で怪しいのだ。

「死角」の場合は注視する、注視しようと努力しても「見えない、見通せない」のに対し、トイレの場合は「注視できずに、そしてかつ(and/or)入ってしまえば完璧に視線が遮断」されてしまうのである。

 

ここで大切なのは「注視できない」ということで、多くの人は「さりげない無関心」を装い注視しない。つまり(注視することが職業化している人、あるいは余程の変態かを除いて)見えても見えない、見ようという努力を放棄した状態を作り出すのである。

 

即ち、今回事件の背後には、努力して注視しても見えない「死角(個室という密室)」と合わさって、注視しようとしない努力をする「さりげない無関心(トイレというご不浄空間全体)」が作用し、周囲の店員やお客さんからの視線を奪っていたのである。

 

この分け目は大切である。なぜならこうしたトイレのような空間に対する犯罪防止の重要な鍵を与えてくれるからである。自然で嫌みを伴ない鍵がここから得られる。環境設計論(CPTED)からの工夫だ。

どのようなことかは後に述べたい。

 

安易に「死角」という言葉を使うな、使うことによって犯罪はなぜ防げなかったのかという考えを煮詰めてゆく努力を放棄させ、再度の事件を招きかねない、という教訓をこの事件は教えてくれる。

        (子どもの安全教育グループAEC(エース)代表  清永奈穂 2011年3月9日)

 

 

事件に学ぶ ー熊本「心ちゃん」事件;本当に被害者化を防ぐ手だてはなかったか①

33日夜、くしくも雛祭りの日の夜であった。女の子の御祝いの日で「心ちゃん(3才女児)」を囲んだ楽しく笑いさざめく声が熊本の町中に聞こえたはずである。しかし、このHPを覗いている方々がご存じの様に非常に残念で沈鬱な夜となってしまった。

 

わたくし達ができることは、共に悲しみ怒ると同時に、こうした事件が二度と繰り返さないよう事件から何かを学びとることである。それは重い事実を前にしたわたくし達大人の努めである。

 

 この事件を報じる記事(朝日新聞35日及び6日朝刊)を見る限り、次のような点が注目された。

 

①「警察庁幹部は『いきなり女児を襲って、殺害するような事件は防ぎきれない』と話している」。

②スーパーの死角が突かれた。

③トイレというプライバシー第1の密室性が突かれた。

④防犯カメラの「存在を知る」ことで犯罪の発生を減少させることはできる。しかしトイレの中や周辺にはあまりその存在を示すモノがなく、カメラの効果が発揮できない。

 

学ぶことの①

①についていうと警察関係者意外にもコメントを求めるべきではなかったのか。

 犯罪防止という点からまず警察であろう。しかし、子どもの安全確保に関しては多角的な視点(見方、コメント)があるべきだ、ということを過去の同種の事件は教えている。

 「いきなり女児を襲って、殺害するような事件は防ぎきれない」というコメントに接すると、この事件からわたくし達は学ぶことは何もなく、再度の同種事件の発生を許してしまうのではないかという感想を抱く。防犯カメラと添付ステッカーが無ければ防げないのか。

 

確かに「いきなりの事件」を防止することは非常に難しい。同時に警察には「市民と共

に犯罪予防」という最近非常に強化してきている機能がある。

 

何もかもでなく、警察ができる主たる防犯機能には「加害者となる可能性のある者を事前にそうしないよう注視する(再犯防止)」と「被害者の外周=環境(外的社会的環境)を強化し危害に遭わないようにする」の2つがある。

 

本事件でもそういう視点から警察が出来る働きは幾つかあったと思える。

 

例えば、犯罪は「犯罪者がやる気」になれば何処でも起きる、という犯罪発生の基本原理に基づき、

被害者自身が身を守る「安全基礎体力」が十分に発達していない段階(少なくとも小学校2年生まで)では、

周囲の大人はいかなる状況でも「目を離さないこと」は鉄則ですよ、

どんな幼い子どもでも危機の時代の今日では安全教育は必用ですよ、

と専門家の立場で普段から市民に広報・啓発活動を勤めていることは出来たはずだ。

 

しかしこの機能が充実するためには「保護者・子どもの教育」と結びつかねばならない。

 

交通事故等の教育を除いて警察が中心となってこうした日常生活の安全教育機能を十分に果たすことが出来るのか、やれるほどの人員があるのか、やるべきなのか。

 

 ここで述べるべきことは、上記の新聞のコメントは文部科学省や厚生労働省そして内閣府にも求めるべきであった、ということだ。

 

文部科学省以下の行政は、保護者と共に3歳児でも身につけることが出来る「最低限の安全基礎体力」を学ぶ安全教育をどのような内容で実施しようとしていたのか、実施していたとすればその教育は今回の事件発生にどの様に無力であった、まだそういった教育がなされていなかったとすれば今後どうするかを問わねばならなかった。こういた点に関して警察にコメントを求めても無理だ。

 

 わたくし達はこれまでに稚い子どもが無法に未来を断ち切られる、

ということを無惨な忘れることの出来ない多くの事件から学んだ。幼い子どもにも「安全教育は必須」なのだ。

 

3才の子どもといえども保護者と共に自己強化を目的とする

「学ぶことの出来る安全体験教育」はある。逆にこの年令から安全教育を始めねば、

小学校に行って安全マップを作っても「お守り札効果」でしかない。

これまでいかに多くの子どもが「安全マップを描いて」被害に遭っていることか。

 

子どもの安全基礎体力を幼小児段階から付け伸ばすための安全教育が必用である。

その際、警察が出来ることは、この種犯罪は現代という価値―規範が揺れ動く時代を背景に、

農村都市を問わずどこでも24時間365日いつでも起こるのだ、

という内容の重さを犯罪のプロという立場から市民にきちんと伝えることである。

 

「心ちゃん」という掛け替えのない幼い命を代償として、この事件から私たちはこれらのことを学ぶ。

 

清永賢二

清永奈穂

2011年3月6日

子どもの危機:最新全国調査粗集計結果が出ました。2007年から大幅に減って「危ないめに遭った子どもは10.8%」でした。

2010年―2011年の子どもの犯罪被害調査の祖集計ができあがってきました。2011年3月4日

いつでも、どこでもだれでもできる犯罪からの安全体験パーク、できました 2011.2.17

 

 

私達は、子どもたちに体験を通し、危機察知、危機回避能力を付けてもらうことを目的に、

移動式安全体験施設を開発しました。

 

可動式であることで、全国各地、どこでも子どもたちが犯罪からの安全を体験できるようになりました。

 

ボランティアの方々、学校の先生などでも簡単に、この施設とプログラムを使用し、子どもの安全教室が行えます。

 

施設の内容、教育プログラムにご興味のある方、どうぞお気軽にお問い合わせください。

 

問い合わせ先:子どもの安全教育グループACE 

 

〒112-0015 文京区目白台1-7-5-60 担当:清永奈穂、藤村友里  電話&FAX:03-3946-5203 電子メール:info@ri-step.co.jp

 

山口県宇部市女児刺傷事件現場実査にいってきました

山口県宇部市でおきた女児刺傷事件現場に現場実査にいってきました。犯罪者は「逃げやすく」「近づきやすく」「やりやすい」とおもえば、犯罪を遂行します。その視点で死角を見つけ、マップを作り、隙間を埋めていかねばならない、あらためてそう思いました。詳しい分析結果に関してましては、徐々におしらせします。(2011年1月30日)

元犯罪者達261名の犯行過程に関するデータが発見されました。

昭和年60年台に実施された「日本では、もう、2度と行う事は出来ないであろう」と言われた調査(調査票原票も磁気データ

も失われてしまった幻の調査)のデータパンチをプリントした表が発見されました。奇跡です。

現在、再パンチを行い、磁気データ化し、プログラムを書きつつあります。

集計は田中賢先生(日本福祉大学准教授)と清永賢二が行います。

これで標的を求めて蠢く犯罪者の行動解析が画期的に進むと思います。どなたかの出版社で、結果の分析を

含め、「犯罪者の行動生態学」という本を出版していただけませんか。

小学校3年生以上の子どもが必須の知識を学ぶための「はんざいからの安全学習ノート」が完成しました

「子どもと地震からの安全」の基礎研究がいよいよ必要となってきました。

 ここ15年、子どもの犯罪からの安全に焦点に研究を進めてきました。しかし、最近の「大地の揺れの動き」を見ると、いよいよ本格的に「地震と子どもの安全」を研究せねばならない段階にきたと思います。

 日本で、本格的に学校で、子どもが大地震に遭って逃げまどった例は、「新潟地震」と「日本海中部地震」の2例しかないと

思います。

 「新潟地震」に関しては、およそ20年前に統計数理研究所長であった林知己夫先生を中心に、

 清永も参加し纏めた文部省特別研究「子どもと地震」の研究資料が残っています。

 

 また、「日本海中部地震」に関しましては、清永を中心とした研究メンバーが纏めた{大地震に遭った子ども達」(日本放送

出版協会NHK出版)の時の資料が残っています。

 

 これらの資料とこれまでの「子どもの犯罪被害研究」の基礎資料を合致させ、まず「危機と子どもの基礎」

の研究を始めたいと思います。おそらく「危機」のとらえ方によって、両者は共通の対応が考えられる部分が多い

のではないかと思います。

 

 2011年の新しい研究課題をここに置きたいと思います。もちろん、犯罪からの安全も従来以上にがんばりたいと

思います。(清永奈穂 2011年1月1日)

2010年12月21日 読売新聞 朝刊 「警官も拒む城」

弊所顧問清永賢二のコメントが掲載されました。

NHK週刊こどもニュースで紹介されました。

2010年11月28日放映NHK週刊こどもニュース、「通学路が危ない」コーナーにて、犯罪危機遭遇体験調査の結果が紹介されました。また、弊所研究員であり、日本女子大学市民安全学研究センター研究員の清永奈穂およびACEの取り組みも紹介していただきました。http://www.nhk.or.jp/kdns/shirabe/10/1128.html

雨にも風にも砂にも強いカシオ EXLIM G をカシオさんから貸与していただきました。

アウトドアに強いカメラ「カシオEXLIM G」をフィールドワーク用に貸与してくださいました。犯罪現場の写真や子どもの安全のための実験に使わせていただきます。「子どもの安全のために」そして「犯罪を少しでも減らすためにお役にたてるなら」と貸してくださった大事なカメラ。社会の役に立つように使用いたします。ありがとうございます。

英国市民化教育・安全教育の10年がまとまりました

弊所は設立以来(2000年)、英国の市民化教育(Citizenship Education)に関して研究を進めてまいりました。

このたび英国は市民化教育(Citizenship Education)のこの10年の教育的効果に関する調査を行い、

その内容を発表いたしました。

その結果をまとめましたものを弊所HP「市民化教育」の欄で後日掲載いたします。

 

 

英国市民化教育視察

ロンドン大学付近の子ども向け公園(清永(楊)奈穂撮影)

2010年7月11日~15日英国で安全教育調査を行いました。 田中賢准教授(日本福祉大学)と清永(楊)奈穂(弊所調査部長・日本女子大学市民安全学研究センター研究員)が、英国を訪問。英国の子どもの安全教育の現場を調査してまいりました。 今回は、英国で行われている防犯教室を調査しました。調査結果は後日詳しくお伝えします

お年をめされた方(高齢者)の犯罪からの安全研究が急ピッチで進んでいます

(株)ステップ総合研究所では、これからの急速な高齢者化社会を見据え、こうした方々が犯罪被害に

どの程度遭っているのか、安全確保のために何をなさねばならないか等についての、、実証調査を

踏まえた研究を始めました。

今は、オレオレ詐欺事件を中心に事件が発生しています。しかし、街頭事件遭遇など問題は深刻な物があります。 

 

幸いなことに6,000名近い市民の方々を対象にした調査を実施しており、年齢別・生別にロスを掛け、

高齢者の犯罪被害の実態を検討する研究を進めております。

もうすぐ報告書が出来ます。

 

また、清永顧問が本にしました大泥棒が書いた「賊日記」の中に、非常に詳細な「高齢者をいかに襲うか」が書かれています。これも纏めることが出来ると思います。

 

これらを皆さんにお目に掛ける日が近いと思います。

静岡県安全安心街づくり調査~体感治安を中心に~

静岡県において安全安心街づくり調査を実施しました。静岡県の人々が犯罪に対してどのように感じているか、将来どうやって安全な街づくりを自分たちで行っていくのか、興味深い分析結果がでました。